福本清三、チャップリンの倒れ方ヒントに独自の「斬られ方」編み出す 飛び抜けていた!美空ひばりの立ち回り
【福本清三伝 無心―ある斬られ役の生涯】 若き日の福本清三は、時代劇の大部屋俳優として少しでもカメラに写してもらうために、殺陣の稽古に勤しんでいた。先輩から「斬り方」は教わったが、「斬られ方」は自分で考えなくてはならない。彼はアパートの布団の上でいろんな倒れ方を研究していた。 ある日、福本は映画館でチャップリンが真っ逆さまに倒れるのを見た。「すごい倒れ方をしてドッと笑いが来たんです。そんなけ、せんとあかんのや。大スターさんがあれだけすごい倒れ方をしてて、僕らが痛くないように手を抜いたのではあかんなと思ったんです」。喜劇王の倒れ方をヒントに独自の斬られ方を編み出すと、時代劇に欠かせない斬られ役になっていった。 1960年代の時代劇全盛期、綺羅星の如くスターがいる中で、福本から見てとりわけチャンバラがうまかったのは萬屋錦之介だった。「萬屋さんは作品によって立ち回りの型を変えてこられる。ヤクザの立ち回り、殿様の立ち回り、宮本武蔵の立ち回り、そこに様式美も取り入れたり」。尊敬する萬屋から、「お前、斬られ方がうまいな。斬られ方がうまいのは、芝居ができるということや」と褒められ、立ち回りとはただのアクションではなくドラマなのだとの思いを強くした。 女優ではやはり美空ひばりの立ち回りが飛び抜けていた。美空も福本を気に入って、自分の主演舞台には必ず起用した。今回の伝記写真集には美空との貴重なショットも多数収められている。 日本一の殺陣集団である東映京都撮影所の東映剣会の西山清孝は、福本と美空の舞台でたびたび共演し、アメリカ公演にも呼ばれた。「休みの日にはひばりさんにディズニーランドに連れて行ってもらい、ラスベガスではエルヴィス・プレスリーのショーも見ました。福本先生とはずっと一緒の部屋でね。先生は八代亜紀さんや五社英雄監督にも気に入られて舞台に引っ張りだこやったね」 斬られ役として業界で注目され始めた25歳の時に福本は結婚をした。妻の雅子さんは「忙しい中でも、子供の面倒をよく見てくれてました」と語る。撮影が終了した後、子供たちと嵐山に釣りに行って遊び、翌日はまた早朝から撮影。 家族は時代劇の悪役の時のような福本の怖い顔は見たことがなかった。