長野智子×阿部知代 フジテレビアナウンサーは断トツで仲がいい?長野「増田由美さんと城ケ崎裕子さんという大先輩が作り上げた雰囲気だよね」
TOKYO FMの音声配信プラットフォームAuDee(オーディー)の番組「長野智子のテレビなラジオ」(隔週火曜・10時配信)。1985年のフジテレビ入社以降、テレビ業界で活躍してきたフリーアナウンサー・長野智子が、テレビを牽引してきた制作者・出演者をゲストに招き、テレビの過去・現在・未来を語ります。 ▶▶【音声を聴く】「長野智子のテレビなラジオ」 1月9日(火)、1月23日(火)の配信では、フジテレビ元アナウンサー・阿部知代さんがゲストに登場。ここでは、1月23日の模様をお送りします。アナウンサー人生の振り返りや、フジテレビアナウンサー同士の仲の良さについて語ってくれました。
1963年、群馬県生まれの阿部知代さん。1986年にフジテレビにアナウンサーとして入社。1991年から92年までFNNパリ支局に勤務し、2012年8月にはFCIニューヨーク本社に出向します。2015年、人事異動で報道局マルチデバイスニュースセンターシニアコメンテーターへ異動。報道局報道センターマルチメディアニュース制作部で、デスク兼キャスターを務めました。2023年7月末日で60歳の定年を迎え、現在も報道局に勤務しています。
◆恵まれているアナウンサー人生だった
長野:阿部知代はアナウンサーを何年までやったんだっけ? 阿部:私は2012年にニューヨークに赴任するのですが、立場的には現地法人に出向になるので、その時点でアナウンサー室は出ているんですね。でも、ニューヨークにいるあいだに「めざましテレビ」(フジテレビ系)の仕事もずっとやっていて。 ニューヨーク駐在中も、「フジテレビアナウンサー」と名乗ってもいいということで、それでいけば帰国の2015年までです。 長野:異動という形で報道局に行くわけなんだけど、心境はどういう感じだった? 阿部:与えられたミッションというのが、当時始まったばかりのウェブのテレビ「ホウドウキョク」の仕事をすることだったんです。なので、半分アナウンサーみたいな仕事でした。 長野:たしかに。 阿部:ただ、こぢんまりとした部署だったから、全部自分でやる感じだった。ゲストのギャラの伝票書きとか(笑)。 長野:あまりやってきてこなかったことをね。 阿部:他の方の番組をやっているときに、フェーダーの上げ下げとかもしましたから。 長野:逆に楽しそうだよね? 阿部:そうそう。こういう言い方をすると叱られるんですけど、学園祭のような感じでした。手が空いている人が助け合うみたいな。楽しかったですね。 長野:局アナとしては恵まれているアナウンサー人生というか。 阿部:ええ。その時点で局アナではないんですけども。 長野:局アナが異動ってなると、全然違うところに異動することもあるからね。現在は定年退職をしたけれどもフジテレビでは何を? 阿部:フジテレビの報道です。同じ報道局の同じデスクで、同じ仕事を同じシフトでやっています。だから全然辞めたって感じがないんです(笑)。