寝たきり社長の働き方改革(24)「障がい者ヒーロー」に答えを求めるな
いま日本では、障がい者の社会進出が着実に進み始めている。 かつては身体的・精神的に外へ出ることへのハードルは高いものがあったが、この十数年のバリアフリーの進歩には目覚ましいものがある。また、リオや平昌のオリンピック・パラリンピックでは、これまでになく、ネットやマスコミなどでパラ選手の姿を見る機会が増えてきた。 そして、2年後の2020年に行われる「東京オリンピック・パラリンピック」を控えた今、マスコミは障がい者をこんな風に取り上げ始めているのだ。 ── いま日本は障害者バブル 障がい者がメディアに取り上げてもらえることは良いことだ。偏見の目で見られ、差別されるよりは、良い形で多くの人の目に触れてもらえることは良いに決まっているはずだ。 ただ、“バブル”という言葉が少し引っかかる。ここ十数年、マスコミは少しずつ障がい者を取り上げ始めてはくれている。健常者と障がい者がお互いにどう接したらいいかという相互理解とか、健常者と障がい者にある壁を乗り越えるための答えを探し求めているのだと思う。しかし、ボタンの掛け違いなのか何なのか、彼らはなぜか「障がい者のヒーロー的存在」を作り上げたがっているだけのようにも見える。 その背景には、少なくとも何かしらのビジネスは絡んでいると思うが、正直、そのビジネスの恩恵というのは障がい者当事者にはあまり還元されないものである。 障がい者ヒーローというのは、時代によって移り変わりがある。つまり、世代交代が必ずあるのだ。例えば、筆者の少年時代でいえば、皆さんもご存じだと思うが、五体不満足で有名になった乙武洋匡氏である。彼の場合は一連のスキャンダルにより、現在はヒーロー的な位置付けではなくなったかもしれないが、良くも悪くも社会に与えた影響は絶大であった。
最近では、視覚障害を持つお笑い芸人・濱田祐太郎氏が売れ始め、少し前だと筆談ホステスで有名になった斉藤里恵氏がメディアで大きな話題を呼んだ。また、海外での有名どころでいえば、歌手のスティーヴィー・ワンダー氏や故・ホーキング博士あたりが頭一つ抜け出た著名人だろう。もちろん、その他にも全世界で著名な障がい者は多くいるし、彼らに共通しているのは「自分だけにしかない傑出した能力」があることだ。日本のマスコミは、この障がい者ヒーローを祭り上げたがる傾向がある。 だが、筆者はマスコミをはじめ、多くの人にこれだけは伝えたい。 それは間違っても「障がい者ヒーローに、相互理解に対する答えを求めてはいけない」ということだ。つまりは、「テレビで○○さんがこう言っていたから、障がい者はこういう人たちで、こういう考え方なんだ」と思い込むことである。 障がい者と一口に言っても、身体、知的、聴覚、視覚など、その種別は多様だし、当然のことながら障がい者である前に同じ人間なので、性格や特性だって違う。だから、障がい者ヒーローに何か答えを求めることは実にナンセンスなことだし、「障害者バブル」という発想自体も、その弊害から生まれた日本特有の風潮なのかもしれない。 こうして連載を書かせてもらっている筆者自身も、社会が求めるような「答え」というものも持ち合わせていない。注目すべきヒーローは決して誰か一人とは限らないし、極論、「答え」という見せかけを振りかざすヒーローでもない。 社会が本当に注目すべきなのは、私たちの周りにいる今を懸命に生きている障がい者だ。彼らは「答え」こそは持っていないが、確実に、今の社会に必要な「ヒント」を持っているはずだ。