自然豊かな清流の野鳥たち <KUMAMOTOとりさんぽ>
心ここ地ちよい水みずの流ながれと瀬せ音おとに誘さそわれながら、標ひょう高こう500メートル~800メートルに位い置ちする菊きく池ち渓けい谷こくに入はいると、新しん緑りょくの若わか葉ばから飛とび出だしたさわやかな香かおりに心こころも安やすらぎます。大だい学がくを卒そつ業ぎょうして熊くま本もとに帰かえり、最さい初しょに参さん加かした探たん鳥ちょう地ちでもあり、当とう時じ出で会あった方かた々がたの笑え顔がおが浮うかんできました。懐なつかしさをかみしめ歩あゆみを進すすめると、渓けい谷こくに響ひびき渡わたるミソサザイの大おおきなさえずりが、とつぜん耳みみに飛とび込こんできました。「チリリリリ」とリズミカルに頭ず上じょうから降ふりそそいでいるようです。立たち止どまって声こえの方ほう向こうを探さがすと、なんと林りん道どう下したの岩いわで尾おをぴんと立たてて鳴ないています。自し然ぜん林りんに包つつまれた空くう間かんは、まるで洞どう窟くつに入はいったようで、鳴なき声ごえが反はん響きょうして方ほう向こうを間ま違ちがえることがあります。全ぜん長ちょうは10.5センチしかなくて日に本ほんで最もっとも小ちいさい鳥とりですが、茶ちゃ色いろく丸まるい体からだのどこから大おおきな声こえが出でるのか不ふ思し議ぎです。名な前まえの「ミソ」は「溝みぞ」で、「小ちいさな川かわにいる小こ鳥とり」という意い味みですが、小しょう学がく生せいのころに、谷たにから水みずを引ひいた家いえの炊すい事じ場ばの土ど間まに、ミソサザイが入はいり込こんできていたことを思おもい出だします。
こずえの先さきでスズメより少すこし大おおきなオオルリが、「ピーリーリー ジジッ」と複ふく雑ざつで美うつくしい声こえのさえずりを始はじめました。のびやかな鳴なき声ごえと美うつくしい姿すがたから、昔むかしからよく知しられている鳥とりで、日に本ほん三さん鳴めい鳥ちょうになっています。黒くろいのどに白しろいお腹なか、そして背せ中なかから尾おは鮮あざやかな瑠る璃り色いろをしています。そこから名な前まえはついていますが、林はやしの中なかでは下したから見み上あげるので、なかなか背せ中なかの瑠る璃り色いろを見みることができません。 さえずりに癒いやされていると、「ツピン、ツピン」とヒガラが金きん属ぞく音おんのように高たかい声こえで鳴なき始はじめました。シジュウカラの仲なか間まですが、少すこし小ちいさくてお腹なかに黒くろい線せんがありません。名な前まえは、鳴なき声ごえが「ヒンカラ」とも聞きこえて縮ちぢめられたようです。県けん内ないでも標ひょう高こうの高たかい山さん地ちに生せい息そくします。そこに2羽わのアオバトが飛とんできました。青あお葉ばのすき間まから私わたしの様よう子すを見みています。じっとしていると安あん心しんしたのか、「アオー アオー」と鳴なきはじめました。緑みどり色いろのハトに出で合あえて心こころ躍おどり、確たしかに「名な前まえも体からだも鳴なき声ごえも青あおいね」とつい心こころの中なかでつぶやきました。日に本ほんでは、信しん号ごう機きの緑みどり色いろを青あおというように、ミドリバトにはならなかったようです。またアオバトは、塩えん分ぶんを必ひつ要ようとすることでも知しられ、山やま奥おくから塩しお水みずを求もとめて海かい岸がんまで飛とびます。菊きく池ち市しは昔むかしから優ゆう良りょうな温おん泉せん地ちですので、流ながれ出でた温おん泉せん水すいを口くちにして塩えん分ぶんを補ほ給きゅうするアオバトがいるのではないかと想そう像ぞうを膨ふくらませながら帰き宅たくしました。(日に本ほん野や鳥ちょうの会かい熊くま本もと県けん支し部ぶ長ちょう・田た中なか忠ただし)