ここにきて「Wikipedia 3大文学」に脚光…絶版の「原典」復刊、文庫フェア開催を実現させた“書店員の熱意”
「天は我々を見放した」
『八甲田山死の彷徨』で描かれる「八甲田雪中行軍遭難事件」は、1902年に旧日本陸軍の第8師団歩兵第5連隊が雪中行軍中に起こした山岳遭難事件。 1894年の日清戦争における冬季寒冷地での戦闘で苦戦を強いられた日本陸軍は、さらなる厳寒の地、ロシアでの戦いを想定し、青森市街から八甲田山の温泉地・田代元湯にかけての雪中行軍を敢行する。 1902年1月23日から片道約20キロ、1泊2日で計画された行軍訓練には、青森歩兵第5連隊の210名が参加。しかし、指揮系統の乱れなど致命的なミスが重なり、結果的には210名のうち、実に199名が死亡するという大惨事に。最終的な生存者11名も、多くが四肢切断など重傷を負った。 『八甲田山死の彷徨』では、同時期に11泊12日の行軍を実施しながら、全員が生還した少数精鋭部隊「弘前第31連隊」との対比から、組織とリーダーの在り方と、自然と人間との闘いを鮮やかに描いている。 『八甲田山』(1977年公開/東宝配給)のタイトルで、高倉健と北大路欣也のW主演による映画化もされており、劇中での司令官役・北大路が発する台詞「天は我々を見放した」は当時の流行語にもなっている。
山梨県が「フルーツ王国」になった理由
そして、『死の貝―日本住血吸虫症との闘い―』で描かれる「地方病(日本住血吸虫症)」は、かつて日本各地 で「不治の謎の病」として知られていた、寄生虫によって引き起こされる病のこと。 感染すると栄養を吸い取られ、黄疸や腹水を発症。子供が罹ると成長が阻害され、20歳前後の青年が、10歳の背丈のまま成長が止まっていた例もあり、実際にその姿をおさめた衝撃的な写真資料も残っている。 明治時代に入り徴兵制が開始された際、特定の地域だけ徴兵の合格者が極端に少なかったことに気付いた政府が、本格的に調査を開始。水田に潜む寄生虫が人体に寄生することで起こる感染症だと明らかになったが、安全宣言が出されたのは1990年代に入ってからのことだ。 『死の貝』では、寄生虫の特定から、寄生虫の中間宿主である淡水産の巻き貝 を根絶し、病を克服するまでの、医師や地域住民たちの長い戦いの歴史が克明に描かれている。 ちなみに、流行地の1つであった山梨県が現在「フルーツ王国」として知られるのは、貝の根絶のため、水田を果樹畑に転作してきた歴史と関係があるのだという。このエピソードからも、この病が長きにわたって人々を苦しめてきた事情が窺い知れる。