「お店は大繁盛だけど理子にフェラーリばれちゃって…」石田純一が語った焼肉店開店1年とフェラーリ愛
石田純一(70)は今、どんな生活を送っているのだろう……。 昨年5月16日に焼肉店『ジュンチャン』を開店し、以来、オーナーとして毎日、電車で店と自宅を往復する日々を送っていると一部週刊誌に報じられたこともあったが、テレビでその姿を観ることはほとんどなくなった。現状を聞くべく、取材を申し込むと快く引き受けてくれた。 【バブルでトレンディ】すごい!トレンディ俳優として大人気だった若き石田純一と愛車のフェラーリ スポーツクラブから取材現場に直行したという石田は、Tシャツに短パン、首にタオルを巻いた姿で現れ、 「今日も5キロ走ってきましたよ。毎日、走ってます。この歳になると、ちゃんと運動しないと体力を維持できないからね」 と、汗を拭きながら爽やかな笑顔を見せた。まずは開店からちょうど1年になる焼肉店について話題をふると、 「皆さんのおかげですごく順調に業績は伸びています。東京から少し離れた場所なので(千葉県船橋市)正直、不安でしたけど、私に色々と指導してくださる業界の方や知人、常連のお客さんなど、皆さんのおかげだと思っています。本当にありがたいです」 と、順調であると語った。報道にあった通り、現在でも石田は、ほぼ毎日開店前から店を訪れ、掃除に始まり、接客、経理のことまで人任せにせず、自分でやっているという。 「やっぱりお店は清潔じゃないといけないし、焼肉を食べた後、服が焼肉臭いとか嫌じゃないですか。だから、ダクトとか細かいところまで毎日、ちゃんと掃除していますよ。ええ、楽しいですね。お店は、まだ進化の過程です。初夏からホルモンも始めるつもりです。バリエーション的にすごく必要だと思って。用賀(東京・世田谷区)にある焼肉の名店『Hodori 用賀店』のオーナーさんからホルモンを学びまして。 週に1回来ていただいて、 色々悪いところを直してもらってブラッシュアップしているんです。今後は、ホルモンと焼肉の2本立てでやっていきたいですね。店舗を増やすとか、そういうことは一切、考えていません。船橋の店をもっともっとお客様に喜んでいただけるようにしたいと思っているので。これからも、この1店舗で頑張っていきたいと思っています」 石田の顔はタレントというよりも、完全に経営者の顔になっていた。では、現在の石田は、さぞかし羽振りのいい生活を送っているに違いない。石田といえば、無類のフェラーリ好きで知られ、これまで10台近くのフェラーリを乗り継いできているが、 「今は、国産のミニバンです。家族が多いですからね(妻の東尾理子・48と子どもが3人の5人家族)。実は…フェラーリも隠れて持っていたんですが、理子にバレちゃって……手放す羽目になっちゃった(笑)」 一体、どういうことなのだろう……。 ◆「フェラーリは上品な妖艶さをもった女性かな~」 芸能人とフェラーリといえば小室哲也や近藤真彦が浮かぶが、業界の中では石田純一もフェラーリフリークで知られている。 トレンディ俳優として一世を風靡した石田だが、いきなり人気俳優になったわけではない。不遇の時代も経験している。その頃は当然だが、フェラーリのような最高級外車に手が届くはずもなく、最初の愛車は日産チェリーだったという。 「それから、ブルーバードSSS、ケンとメリーのスカイラインGTと日産車を乗り継いでいました。僕は、舞台俳優から仕事を始めたんですけど、最初は年収7000円。それが、翌年に7万円。その翌年には70万円。700万円いったのはその翌年。4年間で0が1個ずつ増えていきましたね。そのあとは倍で1400万円とかだったかな……。ドカンってお金が入るようになったのは、’88年放送の『抱きしめたい!』に出演してからです。 そこから、南野陽子さん主演の『追いかけたいの!』や『君の瞳に恋してる!』など、フジテレビだけでドラマが続いて……。CMもすごくて、忙しくて寝る暇もないくらいですから、お金は貯まるんです。ていうか、勝手に貯まってっちゃう。それで、 もちろんマンションを買ったり。じゃあ、車は?ってなったときに、一瞬ベンツも考えて見に行ったりしたんです」 ところが、ベンツは石田にとって「出来すぎた漢(おとこ)」だったという。 「僕は完璧じゃない人間で、もう隙だらけ。だけど遊びとかそういうのが好き。そんな男が乗る車といったらイタリア車しかない。ということで、フェラーリ328を買うことにしたんです。中古でしたが試乗車として乗られていて、パワステも付いてないマニュアル車でした」 36年前のことだ。偶然にも私は、当時、世田谷にあったフェラーリ販売店でお目当ての328に見とれている石田に遭遇したことがある。 328を皮切りにフェラーリ遍歴が始まった。次が348を新車で購入。定価は1400万円だったが、当時はバブル真っ盛り。プレミアがついて3300万円もしたという。しかしその車は購入して1週間後に、エンジンが火を噴き燃えてしまったという。当時、海外ではこの手の事故の話は稀に耳にすることがあったが、石田も同様の事故に見舞われていたというのだ。 「保険もきかなくて、販売元に聞いたら、メーカーに直接言ってくださいって言われたから手紙を書いたんです。丁寧な返事が来たんですけど《大変申し訳なかったけど、これからもフェラーリが世界一美しくて世界一速い、F-1で勝つためのサポートをよろしくお願いします》としか書いてなくて、それだけでした(笑)」 しかし、悪いことばかりではない。2ヵ月後、フェラーリから連絡が来て、『日本ではプレミアがついているらしいけど、こっちから定価で送るからテスタロッサを買わないか』と連絡が入り、当時、日本だと5000万円もしたテスタロッサを半額近い破格の値段で手に入れることができたという。 「僕としては348からテスタロッサにランクが上がったわけだから、嬉しかったですよ。テスタロッサは、形はアメ車のような近未来映画に出てきそうな感じが好きじゃなかったんだけど、一番楽しかったな~。すごく良かったのは、やっぱりあの感覚ですね。車なんてね、やっぱり全部シフトなの。当時、ポルシェなんてシフトを繋ぐのが難しくて大変でしたけど、テスタロッサは全然入りづらくなかった」 遍歴は更に456からマラネロ、599、カリフォルニア・スパイダーと続くのだが、実はその間に石田は1度“浮気”をしている。英国車であるアストンマーティンDB7を乗り回していたことがあるのだ。私はDB7と石田に何度も遭遇していたが、あの時、なぜDB7だったのか聞いてみると、 「あの頃は例の不倫問題(’96年の「不倫は文化」発言)で叩かれて、仕事も激減していたのでフェラーリは売却してしまったんです。ただ、まとまったお金が入ってきたのでDB7を買いました。我々の商売って、イメージが大切でしょ(笑)」 さすが石田。元祖トレンディ俳優としての矜持を失ってはいなかったようだ。そして最後のフェラーリがFF。実はこのフェラーリには彼らしいエピソードが残されていた。 「あれはね、一見、不恰好に見えるんだけど、よーく見ると、かっこいいんだよね。内装やシートに使われている皮がアニリンレザーっていって、特別に柔らかい。なんかアメリカの図書館にあるようなソファ。そのFFを岡山の友達の家に置いてもらっていて、大阪で番組に出演するときに岡山まで行って乗り回していました。 実はこのFF、買ったことを奥さん(理子)に内緒にしていたんです。それがあるとき、バレちゃいまして。“何やってんの!噓でしょ”って言われまして。結局売ってしまいました(笑)」 石田と最後のフェラーリには、悲しい別れがあったのだった。最後に、フェラーリの魅力を総括してもらうと、 「上品な妖艶さを持った女性かな~」 と、遠い目をしたのだった。今後、再びフェラーリに手を伸ばすことはあるのだろうか……。 「今欲しいのはアルファロメオの、ジュリエッタスパイダー1961年製とか、2つぐらい候補があるんですけど、もう完全にヴィンテージ。乗る人もヴィンテージなんで(笑)。ただ、今日、子どもを学校に送っていくとき車の話になって……。うちの娘が車好きなんだけど、電気自動車じゃないとよくないみたいなことを言うんですよ。アルファを買ったら、今度は子どもに怒られるかな」 テレビの露出は少なくなったが、石田の笑顔を見る限り、敏腕経営者、そして良きパパとして充実した日々を送っていることは、間違いないようだ。 インタビュー・文:佐々木博之(芸能ジャーナリスト) 宮城県仙台市出身。 31歳の時にFRIDAYの取材記者になり、数々のスクープを報じてきた。 その後も週刊誌を中心に活躍。 現在はコメンテーターとしてもテレビやラジオに出演中。
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