ヒトの意識をコンピュータに移したら、どんな世界が待ち受けているか
意識を宿す脳は、すこしばかり手のこんだ電気回路にすぎない。であれば、脳の電気回路としての振る舞いを機械に再現することで、そこにも意識が宿るに違いない。多くの神経科学者はそう考えている。 そのうえで、ここで注目するのは、ヒトの意識のコンピュータへの移植、いわゆる「意識のアップロード」である。仮にそれがかなえば、ヒトが仮想現実のなかで生き続けることも、アバターをとおして現世に舞い降りることも可能になる。俄には信じられないだろうが、アップロードされた本人からすれば、生身の身体で生きるこの世界とまったく見分けがつかないはずだ。 この連載第3回では、ひとつの思考実験として、わたしたちを取り巻く世界、わたしたちの身体、さらには、わたしたちの脳と、順繰りにデジタル化していくことで、アップロード後の世界のリアリティを占いたい。 (前回、予告していた新型ブレイン・マシン・インターフェースの中身については、準備が整ったところで次回以降に!) 第1回記事はこちら『ヒトの意識をコンピュータへ移植することはできるか?』 第2回記事はこちら『生きたまま、ヒトの意識をコンピュータに移す方法とは?』 ご愛読、誠にありがとうございました。 本連載(全8回)は、大幅加筆のうえ、再構成し、2024年6月、 『意識の脳科学――「デジタル不老不死」の扉を開く』(講談社現代新書)として刊行されました。
アップロード後の世界
中3の秋、部活動も一段落し、受験勉強に本腰をいれるべきところ、学級新聞にのめり込んだ。今思えば不思議なことだが、自身が理系なのか、文系なのか、定まっていなかったのだろう。高さの揃った机を6つほど並べ、その上に一畳ほどの大きさの模造紙をのせる。陸上部の後輩たちが轟かせる雷管を夕暮れの窓の外に聴きながら、オピニオン記事もどきの下書きをフェルトペンでなぞっていく。おのずと上半身が机に乗り出す格好となる。 そこで、聖子ちゃんカットのちょいワル女子が背後から一言。「おお、なべさん、いいケツしてんな!」。ハードルで鍛えてきた甲斐があったというものだ。 顔にはなんのプライドもないが、昔からお尻には自信があった。自身のアイデンティティを形成する中核部分だ。でも、このお尻もいずれはみすぼらしく垂れていくことだろう。最期は骨と皮だけになってしまうかもしれない。 コンピュータにアップロードされたなら、このお尻はどうなってしまうのだろう? どのバージョンがアップされるのだろうか? このあたりで読者の声が聞こえてきそうだ。いやいや、お前の尻のバージョンなどどうでもよい、そもそも肉体は保たれるのか、と。 美尻の伏線を忍ばせた初回の連載記事を仕上げるにあたり、義理の父親に読んでもらった。だが、父はびくともしなかった。わたしなりに、めいっぱい死の恐怖を煽ったつもりだったのに。 でも、同時におもしろいことを言われた。必ずしも死を怖れていなくても、アップロードされたいと思う状況はあるだろう。まずは、アップロード後の世界がいったいどのようなものか教えてほしい、と。 一言で言えば、現実世界と見紛うばかりの世界が、あなたを待ち受けることになる。まさかと思うだろうが、多くの哲学者が、わたしたちのこの世界、そして、わたしたちのこの身体が、宇宙の超文明によるコンピュータ・シミュレーションである可能性を否定できないと考えている。逆説的ではあるが、あなたがアップロードされた暁には、今この瞬間、あなたを取り巻く世界と一切遜色のないリアリティを目の当たりにすることの傍証だ。 そのことを実感してもらうべく、また、前回記事で取りあげた「死を介さない意識のアップロード」の鍵をにぎるブレイン・マシン・インターフェースの満たすべき要件を紐解くべく、ひとつの思考実験として、環境―身体―脳の順でデジタルに置き換えてみよう。