赤楚衛二「演じた役が僕の中で生きている」作品に影響を受け多様な表現を見せたフォトブック 金髪&スーツ姿も
俳優・赤楚衛二のインタビュー&フォトブック『E』(ワニブックス)が発売された。2020年のファースト写真集『A』から約4年――連続テレビ小説『舞いあがれ!』や『こっち向いてよ向井くん』などの話題作に出演し、役者として進化を続ける赤楚にどのような変化があったのか。ありのままを綴じ込めたという本書制作におけるこだわりや、芝居にかける思いを聞いた。(編集部) 【写真】さまざまな表情を見せてくれた赤楚衛二の撮り下ろしやフォトブックでの金髪スーツ姿など ■仕事に対するスタンスは明確に変わった ――2020年に発売された写真集『A』と異なり、今回発売された『E』はフォトブックであると同時に赤楚さんの内面性を深く掘り下げたインタビュー集でもあります。 赤楚衛二(以下、赤楚):当初、想像していた以上に、僕の深くて暗いところまで切り込んでいただいた一冊になりました。最初は、もっと前向きで明るいテイストのものが生まれると思っていたんですよ。いくつか名言っぽいものも出ちゃうような、まっすぐなものが。でもいざ出来上がってみたら、人様にお見せするのが恥ずかしくなるくらい、迷いや葛藤が綴られていて。 ――制作期間である2022年9月から23年11月まで、赤楚さんが役者としても人としても、試行錯誤しながら成長してきたのが伝わります。 赤楚:どう受け止められるのか不安ですけど、スタッフのみなさんと頑張ってつくりあげたものだから、見ていただきたい気持ちもあります。写真展(※)では、『A』の未公開写真も展示されていて、時期によって顔つきが違うし、当たり前だけど今より幼さが見えたりもして、おもしろかった。時間というのはこんなふうに如実に流れるものなんだ、ってことをみなさんにも僕を通じて感じてもらえたらいいなと。 ※赤楚衛二『A』×『E』写真展 2024 ――今作では、すべての写真を同じスーツで撮影しているので、より変化を感じやすいかもしれません。 赤楚:ただ、AからBにだんだん変わっていった、というよりは、数カ月おきにCになっていたり、Dになったかと思えばBになっていた、みたいな感じで、順当にステップアップしたというわけでもないんですよね。そのときどきに向き合っている作品に影響されているんだろうけれど、別人みたいな顔をしているときがあるなあ、と自分でも思いました。 ――ご自身では、どこにいちばん変化を感じていますか? 赤楚:仕事に対するスタンスは明確に変わりました。2022年までは、主観でお芝居をしていたんですよ。でもそれだと、自分が感じていることと表情が一致しないことが度々あって。もちろん、そのズレがいい効果を生み出すこともあるんでしょうけど、僕の場合は正解だとは思えなかった。もっとこういう感情を表現したかったのに……ともどかしくなることが多くて、客観性を取り入れるようにしたんです。同時にいくつかの役に向き合わなきゃいけないとき、主観でのめり込み続けるのが難しくなった、というのもあります。 ――2022年の夏には『石子と羽男-そんなコトで訴えます?-』が放送され、その後、連続テレビ小説『舞いあがれ!』や『こっち向いてよ向井くん』など出演作が続きましたもんね。 赤楚:役が混ざっちゃうときがあるんですよね。ある程度距離を置いて客観的なまなざしをもたないと、これはしんどいぞと。『舞いあがれ!』や『風間公親 教場0』に出演したころから、意図的に主観を手放すようにしていました。だんだんそのやり方が定着していって、今では主観中心ではお芝居ができないくらい、役に対するアプローチが変わっています。 それがいいのか悪いのかはわからないけど、私生活が役に左右されることもなくなりましたし、今のところは僕に合ったやり方を見つけられたんじゃないのかな。とはいえ今後、理屈を捨てて感覚に全振りした芝居をしなきゃいけないときも来るだろうから、そのときはまた違う壁にぶつかるんだろうなという予感もあります。 ――お芝居を変えたことで周囲の評価は変わりました? 赤楚:よくなったね、と言ってくださる方は増えました。自分が気持ちよくなって出したいものを出すのと、作品の中で必要とされる見せ方をするのは、全然違うんだなと実感しています。 ■撮影はその日の気分、素のままの自分で ――ご自身でとくに印象に残っている写真はありますか? 赤楚:2023年5月ですね。マネージャーさんいわく、僕が「荒ぶり期」にいたときの写真です(笑)。靴下を脱いだときに絡まったやつを、バン! って思い切り床に叩きつけたりしていたらしくて。 ――意外。 赤楚:誰かに攻撃的になったり迷惑をかけたりはしていないんですけど、スケジュール含めてハードな時期が続いていたし、芝居が変わりつつある時期でもあったので、不安定になっていたんでしょうね。自分でも、感情がコントロールしにくい自覚はありましたし、なるべく表に出さないようにしていても、悶々とした気持ちがあふれ出ちゃってたんだと思います。その片鱗が、写真にも出てるなと。 ――すべての写真をスーツで撮影することにしたのはなぜだったのでしょう。 赤楚:今回の本は写真集ではなく、僕の言葉を追うというのが最初からテーマとしてあったんです。そのためには、そのつど衣装を変えるよりも、ずっと同じ服装のほうがいいんじゃないかな、って。 僕はデニムや革ジャンが好きなんですけど、経年変化って言葉がよく使われるんですよね。だから最初は、デニムのセットアップを着続けて、僕自身の経年変化も表現できたらいいなあと思ったんですけど、デニムは型がしっかりしすぎて遊びが少ない。スーツのほうが気崩したり、ボタン一つで雰囲気を変えたり、いろんなアプローチができるんじゃないかってことで決まりました。 ――撮影するときのこだわりは? 赤楚:全部、その日の気分です。ふだん、ファッションの撮影をするときは、シチュエーションが想定されている場合も多いですし、ブランドのイメージに沿ってカッコよくとかスタイリッシュにとか雰囲気を定めていくんですけど、今回は素のままの自分でいようと思って。 ――だから荒ぶり期の片鱗も映し出されてしまった。 赤楚:そうです(笑)。プライベートでもこのスーツを着ることが多かったので、だんだん肌にもなじんでくれたんじゃないかなと思います。 ――髭を生やしていたり、ちょっと乱れていたり、同じスーツとは思えないほどいろんな表情が見られますが、やっぱり初回の金髪は、イメージにないので驚きました。 赤楚:意外とよくないですか?(笑)。20代のうちに、一度金髪にしておきたかったんです。Netflixドラマ『ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』に出演したら、自分でもやりたいことリストをつくってチャレンジしたい気持ちが湧き出てきちゃって。染めるような役をもらうこともしばらくなさそうだし、やってみるか! と。そうしたら、久しぶりに美容院って楽しいんだなってことを思い出しました。いつもは自分ではなく役のためにヘアスタイルをつくっているので。 ――なかなか自分の好みどおりにはできないですよね。 赤楚:そうなんですよ。ここを3センチ切ってください、ここはあと2センチ、みたいにこだわるのも、全部役をどう表現するか考えてのこと。だから、自分の好みを伝えること、そしてそれが叶うことがこんなにも楽しいんだと知れてよかったです。美容院もエンターテインメントなんだな、と(笑)。 ――今後、美容師の役を演じるときがきたら、その実感が活きそうです。他に今、やりたいことはありますか? 赤楚:探り中です。エジプトに行きたいと思っても、まあ、難しいじゃないですか。身近でできることがないか探しているんですけど、とくに思いつかない。金髪にして満足したのも大きいですけど。 ■自分を見つめ直してフラットになれた ――4月からは主演ドラマ『Re:リベンジ-欲望の果てに-』が放送されることが発表され、ますますお忙しくなりそうです。本書の中で、「やっぱり作品の真ん中に立ちたい気持ちはあります」とおっしゃっていました。主演をつとめることも増えてきましたが、何か意識の変化はありましたか? 赤楚:『こっち向いてよ向井くん』のとき、自分には足りないところだらけだなって思い知らされたんですよね。だから『Re:リベンジ』では、芝居だけじゃなく、ちゃんと周りの方たちを見て配慮できるようになりたいです。だからとりあえず、差し入れはいっぱいしなくちゃ(笑)。 ――(笑)。 赤楚:それに、主演といっても、今はまだ真ん中に「立たせてもらっている」感覚が強いんですよね。周りの方たちに支えてもらって、ようやく立つことができているんだ、と。スターと呼ばれる方たちは周囲を引っ張っていく強さがあるけれど、僕はそこには及んでいない。みなさんに感謝しながら、この人が主演でよかったと思ってもらえるために何ができるか、一つひとつ考えていくことしかできないんですよね。 ――荒ぶり期があったなんて信じられないほど、お話を聞いているとフラットな感覚をお持ちで、ご自身のことも冷静にとらえていらっしゃいますよね。 赤楚:理想を高く持ちすぎると現実とのギャップが生まれて、ネガティブな感情に引きずられてしまいますからね。これならできるはずだと思っていたことができないと落ち込みますし、周りのすごい方たちと比較して落ち込むのもつらいけど、こうありたい、あれるはずだと思っている自分と比較してだめな自分を思い知らされるのもつらい。そういう落ち込みを繰り返して、自分は自分でしかないんだってあきらめた途端、フラットに物事をとらえられるようになりました。 ――何かきっかけがあったんですか? 赤楚:いろんなところでお話しているんですけど、コロナ禍で緊急事態宣言が出て、ぽっかり時間ができたときに、自分を見つめ直すことができたんです。なんだかんだいって、やることはやってきたし、頑張ってきたじゃん、って。そうしたら、自分のことが嫌いじゃなくなりました。その視点が生まれたからこそ、芝居も客観的に向き合えるようになったのかもしれません。 ――フラットかつ、物事を俯瞰的にとらえることのできる方なんだなというのは、本書に収録された3人のプロフェッショナルとの対談でも感じました。江戸切子の職人、字幕通訳者、JAXAで宇宙飛行士の支援をする方。どれもおもしろかったです。 赤楚:いい経験でした。世界を見る目が変わった……というより、視点が増えたというのかな。技術の裏に込められた思いや歴史を知ると、とんでもなく深みのある存在として伝わってくる。 僕の友人に建築の仕事をしている人がいるんですけど、ふだんの生活でもふとした瞬間に壁の材質とか気にしていたりするんですよ。人それぞれ、所属する分野によって見える世界の解像度は違う。僕がこれまで素通りしてきた場所に、とんでもなく豊かで素敵なものが潜んでいるんだと知ったら、ものすごく楽しくなりました。世界って、おもしろいなって。 ■書き手の人格も想像するほど読書好き ――赤楚さんは、職業病みたいなものはありますか? 赤楚:街中でカメラを向けられるとドキッとしちゃうけど、そういうことじゃないですよね(笑)。僕じゃなくて風景を撮っているんだってわかっていても、つい身構えちゃうんです。あと……人狼は上手いかもしれないってことくらいかなあ(笑)。自分では無意識だからわからないです。 ――言葉に対する感度が高いのは、職業病みたいなものなのかなと思ったりもするんですけど。言葉選びがとても素敵ですよね。 赤楚:ありがとうございます。それも自分じゃ全然わからない(笑)。もともと小説とか本を読むのが好きなんですけど、ここ数年、全然手に取れていなくて……。忙しいからというより、影響されすぎてしまうんですよね。もともと文章を読むと、書き手の人格も想像しちゃうっていうか、奥の奥まで潜り込んでいくのが好きで、いいなと思った文章は真似て書いたりもしていたんです。役以外でそういうことをすると気が散っちゃうから、読むのは控えているんですよね。 ――ああ、でもそういう方だから、言葉が内側に蓄積されているんでしょうね。朝ドラで歌人を演じられたのも、納得です。演じた役の言葉も、一つひとつ吸収されているような印象があります。 赤楚:演じることで、その役の人たちが僕の中で生きている部分はありますからね。最中は全然わからないけど、顔つきがそのつど変わるというのは、そういうことなのだろう、と。 ――先日、30代を迎えられましたが、今後10年をどんなふうに歩んでいきたいですか? 赤楚:これまでと同じじゃないかな、と思います。たとえば自分の意見を通すときに、相手の意見をいったん受け止めてから提案する、みたいな大人の振る舞いはできるようになったし、自分なりに成長はしているんだと思いますけど、この先も壁にぶつかって苦しむことを繰り返さなければ、幅は広がっていかない。だから、不安です。立場が変わるにつれて責任も大きくなるし、目配りしなきゃいけない範囲も広がるから。 でもまあ、ネガティブなことばかり気にしていても人生楽しめないので、少しずつ成長している自分、経年変化する自分を楽しめる自分であれたらいいなと思っています。
立花もも