史上最年少全日本柔道出場の斉藤ジュニアが見せた“最強遺伝子”の片鱗
「(関節、寝技の)知識のなさ、経験のなさ、練習不足もあって悔いしか残らない。あそこで勝ったら気持ちいいんでしょうが、負けたらむちゃくちゃ悔しい。全身全霊で戦い悔いなき試合をしたいと言っていたが、悔いしかない。出し切れていない」 取材スペースに出てきた斉藤は悔しさを隠さなかった。 その素直さがいい。 痛めた左手首をテーピングで固め、痛み止めを打って試合に臨んだ。大学生との乱取りを再開できたのは、ほんの2週間前。その間、彼なりの葛藤があったという。 岩渕公一監督からは「痛くてもやれ! 練習しながら治せ」と命じられたが、「ちょっとちゃうやろ」と反抗心を抱いた。 「悪化するのが怖かったのでしっかりと治すほうが先やと」 葛藤はあったが痛みを我慢して稽古を続けると動きが戻ってきた。それでも、たった2週間の準備で、ここまでできるのは非凡。 男子日本代表の井上康生監督も、「若手に存在感があった。重量級の未来に頼もしい選手が出てきた」と、斉藤を含む若手を高く評価した。 父が数々の伝説を残した全日本の畳に立ってわかったことがあった。天国へ旅立つ寸前、「稽古へ行け」と、遺言を残した父の指導はとても厳しく、当時は、言われたことを素直に聞き入れることができなかったが、父の母校である国士館へ進み、高いレベルの柔道を学ぶようになってからその言葉と後悔の念が蘇るという。 「こう言ってたな、ああ言ってたなと。(父に)教えてもらっているとき、トップレベルのことを教えてもらっていた。なのに嫌々教わっていたことをバカだったかなと後悔している。国士館に来て、凄いことを教わっていたんだなとわかる」 表情には、まだ少年のような可愛らしさの残る斉藤は、ほんの少し大人になった。 残念だが、夢から目標に切り替わり始めていた東京五輪出場は、かなり厳しくなった。だが、「東京五輪? どうなんですかね。わかんないですが、もうしっかりと切り替えている。課題はみつかってるんで。悔しさを埋めるために練習をする」とポジティブだった。 斉藤が具体的な課題として挙げたのは「寝技と、相手を警戒しすぎていたこと。気持ちの部分」の2点である。 逆にいい点もあったのでは?と聞かれると、「いいところはわかんない。いいところを見たら慢心する」と言いつつ「最初は固まっていた部分もあった。でも技を出して固まったのが和らぎ、立ち直った。そこは良かった」と、大舞台での緊張の解きほぐし方を得た点を挙げた。 次なる目標も定めた。 「まだ実力をだしきれていない。金鷲旗(高校柔道大会)、インターハイの団体もある。前回勝っていない世界ジュニアでリベンジもしたい」 昨年の世界ジュニアでは、ただ一人メダルをクビから下げることができなかった。今度は、そこで成長した姿を見せるつもりでいる。 斉藤は、1本負けした武道館の畳の上で、父の国士館の教え子だった加藤から「先輩は強ええぞ」と声をかけられた。斉藤は「ちくしょう!」と言い返したという。 柔道のスケール、喋り、そして魂を剥き出しにするファイティングスピリット……すべてに父の“最強遺伝子”を引き継ぐ大物。父が守った日本伝統の重量級に未来の金メダル候補が現れたのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)