山﨑果倫主演『夢の中』予告編&サブビジュアル公開 岩谷健司、片桐航ら著名人コメントも
5月10日より公開される映画『夢の中』の予告編とサブビジュアル3種が公開された。 【写真】公開されたサブビジュアル 本作は、中学生の性の違和感と自己理解の揺らぎを描いた『蝸牛』で MOOSIC LAB 2019短編部門グランプリほか4冠を達成、映画製作プロジェクト「感動シネマアワード」でグランプリを受賞した都楳監督の商業デビュー作となる青春幻想譚。 「俺のこと、ここで匿ってくれない?」。血まみれで息を切らす男・ショウに声をかけられたタエコ。生気がなく虚ろな瞳の彼女 は、部屋に入る彼に「私の最期、綺麗に撮ってください」とお願いする。何から逃れてきたのか。その願いは本当に望んでいるものなのか。2人は時間を共有するうちに、夢とも現実ともつかない、お互いの感情と記憶が交ざり合う奇異な世界に引き込まれていく。タエコが、ショウが、目を背けてきたものを前に、表情を変えていく。 主演を務めるのは、『隣の男はよく食べる』(テレビ東京系)、『輝け星くず』などの山﨑果倫。共演には、NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』などの櫻井圭佑、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』や、 NHK連続テレビ小説『らんまん』などの山谷花純、NHK大河ドラマ『光る君へ』などの玉置玲央らが名を連ねている。 公開された予告編では、本作の幻想的な世界観を象徴する、夢の中に生きる女・タエコ(山﨑果倫)と現実から逃げる男・ショウ(櫻井圭佑)が雨と血に濡れる出遭いのシーンから始まり、苦悩や緊張の表情を見せながら不思議な世界を彷徨い始める姿が描かれている。 あわせて公開されたサブビジュアル3種では、「わたしは、美しくて儚いものになりたかった」「わたしの最期、綺麗に撮ってください」「記憶と現実に深く深く沈むと、闇の底から光がみえた」というコピーとともに、都楳勝監督が描き出す映像表現がデザインされている。なお、映画の上映館(一部地域除く)では、本サブビジュアル3種のB3ポスターが来場者特典として数量限定でプレゼントされる。 また、5月4日と5月5日に、浅草九劇にて「感動シネマアワード」の受賞6作品を一挙に上映する特集企画「感動シネマアワードフェスティバル」が開催されることが決定。本作も同イベントで特別先行上映される。 公開に先立ち、俳優・岩谷健司、『あつい胸さわぎ』などの映画監督・まつむらしんご、イラストレーター・平泉春奈、ロックバンド・Lenny code fictionの片桐航らがコメントを寄せた。 【コメント】 ・岩谷健司(俳優) 謎な展開と映像美にスッと引き込まれて行くうちに、ふと、自分が若かった頃の閉塞感や絶望感、ずっと曇天続きで鬱々としていた日々が甦ってきて、まるであの頃に観た悪夢の中を彷徨っているようだった。 ・まつむらしんご(映画監督) この映画を観る数日前に『幻想と混沌の美を求めて』というタイトルがついたデイヴィッド・リンチの本を読み終えたばかりだった。なのでどこか運命的なものを感じた。 夢と現実が交差する多重構造を使いながら、実体のない愛を描こうとする挑戦的な映画だと思った。夢も嘘。現実も嘘。愛も嘘。そして映画もまた嘘。 嘘にまみれた暗闇の中でしか、案外、小さな光は見つけられないのかもしれない。この映画が発見した光が、誰かの暗闇を照らしますように。 ・平泉春奈(イラストレーター) タイトルの通り、夢そのものみたいな映画だった。サイレンや水の音、日常の雑音の中にポツリポツリと会話がこぼれていく。生きることを諦めながらもどこかに救いを探す2人の感情が、夢と現実の境界線を曖昧にしていく。だんだん見てるこちら側も思考が停止していき、流れゆく映像に身を委ね、会話一つ一つの深い意味など考えなくなる。 夢想的な感覚が続く中、女の子が初めて顔を歪めて涙を流す瞬間、主人公たちと一緒に私の心も夢から醒めた。あるモノローグと一緒に見せる穏やかな表情の女の子に、心底ホッとした。一年に数回ほど見る忘れられない夢、そんな映画だった。 ・片桐航(Lenny code fiction) 主人公ショウがみている夢を観ているのか、彼が過ごす現実を観ているのかわからなくて最初は探ろうとしたけど探ってる自分がチープに思えるくらい夢の中の表現が上手すぎて入り込めました。何を理由に夢か現実かわからない状態になってしまったのか、その部分についての物語回収もしっかりされていて時間以上の見応えがあった。 夢に「望んでいる事」という意味が入ってる事が僕たちが生きているこの現実世界のミスリード。それを疑った上でその一歩先にまで行った初めての作品だと思いました。 観終わった後に街を歩き、以前ここに来た事が夢だったか現実だったか一瞬迷いそうになった時、この映画に心ごと浸れたんだなと実感しました。 ・風歌(モデル) 映画を見終わった瞬間、深い闇の中から自分がぽわっと浮かび上がったような気分になった。 夢と現実の間を揺れ動くストーリーの中でのタエコとショウのやり取りに深く引き込まれ、自分自身の心が、感覚が、失われるような、不思議な夢の中の世界を味わう映像体験。 けれど見終わった後、そこに居なかったはずの自分の心が少し救われたような気がした。 ・小日向ひなた (アーティスト) ゆらゆらとした不確かな輪郭の中にある確かな孤独。息を吸うほどに、もがくほどに、痛く苦しいのならば、何とも向き合わず、何も感じない方が幾らかマシだ。生きていると、そんなことを思う瞬間が誰にでもあるはず。 逃げてもいい、眠ってもいい。けれど、人は触れるとあたたかく、涙も確かな熱を持つ。美しい音楽、けたたましいサイレン。スッと世界に引き込まれて、ハッと目醒めるような作品でした。 目を眇めるような光では無く、暗闇にぼうっと射すような、柔らかく、図々しくない希望の光がとても心地よかったです。 ・森優作(俳優) 題名の通り、いろんな夢を垣間見ました。それは良い夢なのか、悪い夢なのか。 いつも何かに夢を抱きながらこの仕事をしている自分もふと、今夢なんじゃないか、って思ったり思わなかったり。すごく綺麗な映像が、そんな不安定なものに一つの希望を与えている気がしました。 ・船曳真珠(映画監督) 眼ざすことを恐れる男と眼ざされることを恐れる女、そして眼ざし眼ざされることを拒絶する女。この三人が織りなす視線の網に、私たちは知らぬ間に捕らわれる。都楳勝は前作同様、現代のエロスの混乱を写し出し、迷宮をさまよう快楽を与えてくれる。 ・高橋広吏(映画監督) 最後まで監督の独特な世界観に引き込まれる幻想的な作品でした。二人が出会い、互いの感情と記憶に触れ、理解し合う過程で生まれる美しくも儚い瞬間は、生きていることの証。彼女の欠けた感情を埋めようとしている姿は、心を打たれました。 心の奥深くを探る旅は、きっと彼女が向く方角に未来があるのでしょう。 ・西尾孔志(映画監督) 家の中/外ヅラの区別だけじゃなく、やれアバターやらアカウントやらと、今を生きる私たちは小さく小さく自分を切り分けて、複数の顔で生活している。素性のわからない女・タエコもきっと、切り分けた顔をすり減らし、どこかに置いてきてしまい、気がついたら自分らしい顔が一つも残ってなかったのではないか。 まるで機械か幽霊のようにうつろで顔のないタエコを演じる山﨑果倫の、いよいよ最後の表情を見るためにこの世の全てがあるのかもしれない。そういう贅沢を楽しむ映画があっていい。僕は大いに酔った。 ・芳賀俊(映画監督) タイトルで宣言された通り、夢現を彷徨い歩くような映画体験だ。儚くも芯のある眼差しの山﨑果倫と共に過ごす奇妙な時間には、都楳勝監督の前作「蝸牛」と同じく粘り気のある毒が通低音として流れている。都楳監督の世界はどこか甘くグロテスクで、そんな世界の中で山谷花純が主人公と観客の心に爪痕を残していく。 この映画が提示する『感動』は一般的な意味のありきたりな感動ではなく、観客の心の深い所に知らぬ間に作用する何か底知れないものだ。その『感動』は、あなたの耳元で『夢から醒めよ』と囁く。
リアルサウンド編集部