長野市で出土の仏具 奈良~平安時代の「塔鋺形合子」と確認
高位の人物が長野にいた?
川崎課長は出土した塔鋺形合子のふたの学術的価値について、(1)ほかの塔鋺形合子の多くが古くから使われてきた伝世品(でんせいひん)であるのに対し、今回出土品は年代や場所が特定できる遺跡から出土したことに学術的な大きな意味があり、考古学的に非常に貴重、(2)複雑な作りで作風も精緻であるなど美術工芸品としての価値も高い、(3)長野県の歴史を考える上で重要――の3点を挙げています。 塔鋺形合子は数も少なく、法隆寺など中央につながる場所で存在していることから、「当時の中央の出先機関の長などより高い地位の人物か、高い位の仏教の指導者が用いていたのではないか」と同課長。大きな力を持つ人物が現在の長野市に居たとすれば、その意味を考えることが長野の歴史を考えていくヒントになるとしています。 特に発掘現場付近は古代の交通の要衝であることと、善光寺まで近いという立地から当時の中央や善光寺との関連を探る上でも重要な出土品。川崎課長は「そうした点も含めて塔鋺形合子がなぜここで出土したのか、さまざまな角度から探求していくことになる」とし、今後研究者らの強い関心を集めることになりそうです。
---------------------------------- ■高越良一(たかごし・りょういち) 信濃毎日新聞記者、長野市民新聞編集者からライター。この間2年地元TVでニュース解説