中国随一の海鮮都市・大連の思い出が蘇る、池袋「逸品火鍋 四季海岸」の紅焼鱸魚
現代ビジネス「北京のランダムウォーカー」でお馴染みの中国ウォッチャー・近藤大介が、このたび新著『進撃の「ガチ中華」』を上梓しました。その発売を記念して、2022年10月からマネー現代で連載され、本書に収録された「快食エッセイ」の数々を、再掲載してご紹介します。食文化から民族的考察まで書き連ねた、近藤的激ウマ中華料理店探訪記をお楽しみください。 第8回は、池袋「逸品火鍋 四季海岸」の紅焼鱸魚に覚えた、ささやかな幸福感ーー。 【写真】『進撃のガチ中華』出版記念インタビュー「中華料理の神髄とは何か?」
40年以上日本の統治下に置かれていた大連
中国はおしなべて「反日」というイメージがあるかもしれないが、全国で1ヵ所だけ、これまで一度も「抗日デモ」が起きていない都市がある。いわば中国一の「親日都市」。それが、渤海(ぼっかい)に面した遼寧(りょうねい)省遼東半島の先端に位置する750万都市、大連だ。 大連(ダーリエン)という名前は、「ダリエ」(遠くの場所)というロシア語に由来している。日清戦争(1894年~1895年)で大勝した日本は、伊藤博文首相が故郷・下関の行きつけの料亭「春帆楼(しゅんぱんろう)」に、李鴻章(り・こうしょう)清国(中国)全権代表を呼びつけ、台湾や遼東半島の割譲を呑ませた。それが下関条約だ。 私は、下関条約の原版を、東京の外交史料館で見たことがあるが、李鴻章代表が押した巨大な黄色い押印が、ひときわ印象的だった。せめて判子の大きさだけは日本に負けないぞ、という意地を感じさせる条約文書だ。 実際、この時の日本は、さすがにやりすぎだろうという声が、国際社会で上がった。その代表格であるフランス・ドイツ・ロシアが、「遼東半島は清国に返還しなさい」と、日本に迫った。いわゆる三国干渉だ。 列強3ヵ国からの圧力に、日本はやむなく、遼東半島を返還した。そうしたらロシアは、清国に向かって、「功績の見返り」を要求した。それで得たのが、遼東半島の先端の地域だった。ロシア人はその土地を「ダリエ」と呼び、ロシア風の都市建設を始めた。 こうした動きに怒りを強めた日本は、1904年、ついに大国ロシアと一戦を交える。それが日露戦争で、翌年にポーツマス条約を結んで終結した。日本は、日本海海戦勝利の勢いを見せつけるかのように、ダリエをロシアから譲り受けた。そしてダリエに漢字を当てて、「大連」とした。 日本は大連を起点として、大陸横断鉄道を敷く壮大な計画を立てた。それが南満州鉄道(満鉄)だ。後の東海道新幹線の原点となる「アジア号」も走った。私は、いまも一輛だけ大連に保管されているアジア号を見せてもらったことがあるが、その規格外の巨大列車に、当時の様子が偲(しの)ばれた。 1906年、満鉄の初代総裁に就任したのが、いまの東京の道路網の原型を創った後藤新平だった。気宇壮大な発想の持ち主だった後藤総裁は、ロシア風だったダリエの街並みを、日本風の大連に変えた。 日本の統治は、日本が太平洋戦争で敗戦する1945年まで、40年も続いた。日本時代の大連は、60万都市となって大いに繁栄した。それで1949年の新中国建国後も、大連人は日本時代の建造物や家屋をそのまま使用し、いまに遺している。