田中史朗 引退後の大きな野望「日本の皆さんに感動を届けられる」ラグビー代表ヘッドコーチ目指す
ラグビー元日本代表SHの田中史朗(39)=東葛=が24日、都内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。166センチ、75キロと小柄ながらタックルを恐れないプレーで日本をけん引し、W杯は2011年から3大会に出場。日本ラグビーの発展に大きく貢献した男は「限界を感じた」と、涙ながらに語った。今後は東葛でジュニア世代のコーチとして指導。将来は「日本代表ヘッドコーチをやってみたい」と高らかに宣言した。 * * * 涙を必死にこらえた。会見冒頭。田中は大きく一息つき、言葉を詰まらせながら思いを語った。「私、田中史朗は今季終了をもって、現役を引退することを決めました。この小さな体で日本代表としてW杯に出て、新しい歴史を築けたことは私の誇りです」。SHとして臨んだW杯は3度。世界と戦い続けた39歳が、ユニホームを脱ぐ。 日本が史上初めて8強入りした2019年W杯日本大会後から、徐々に感じていたという体力の限界。今季はリーグワン2部で3試合に出場も「いいパフォーマンスはできていなかった」。約2か月前、智美夫人に引退の思いを告げた。23年W杯を諦めかけた時は「もうちょっと頑張ろう」と背中を押してくれた最大の理解者。ただ、今回は「本当にお疲れさま。ありがとう」と、受け止めてくれたという。 日本ラグビーのために走り続けた。初出場だった11年W杯は1分け3敗。出迎えの際、ガランとした空港を目の当たりにし「日本ラグビーが終わってしまう」と危機感を募らせた。12年に日本選手で初めて世界最高峰リーグのスーパーラグビーに参戦。海外挑戦の門戸を開いたパイオニアとなった。「責任感と、罪滅ぼし」と田中。背中で見せて日本のレベルアップを促し、15年W杯では歴史的3勝。南アフリカ戦では、9番として「史上最大の番狂わせ」を演じた。 引退後は、東葛のジュニア選手の指導にあたるという。将来的には「日本代表のヘッドコーチをやってみたい」と大きな野望も明かした。「試合に勝つ喜びをもう一度味わいたいけど、次はコーチとなって日本の皆さんに感動を届けられるチームをつくっていきたい」。選手を終えても変わらない志。最後のあいさつも、らしさがにじんだ。「これからも、ラグビーを愛していきたい。日本ラグビーを、よろしくお願いします」。現役で残すは4試合。東葛の1部昇格で、有終の美を飾る。(大谷 翔太) ◆田中に聞く ―思い出の試合。 「自分は出ていないが、ハイランダーズの優勝の瞬間は今でも覚えている。代表では(15年W杯の)南アフリカ戦が一番印象にある」 ―家族の支え。 「子供たちの笑顔を見たくて頑張ってきた。妻もアスリートで、妻がいたからこそ最高のラグビー人生が送れた」 ―今後若い選手にどういうチャレンジをしてほしい? 「シンプルに、世界はそんなに甘くないということを伝えたい。世界の情報も得ながら、日本のラグビーを築いていってほしい」 ―どういうコーチに。 「まずは厳しく、その中で家族のように何でも話せるコーチになれたら」 ―田中にとってラグビーとは? 「僕の人生そのもの。もし次生まれ変わっても、ラグビーの道を選ぶ」 〇…W杯代表で共に戦ったBK松島幸太朗(31)=東京SG=とBK松田力也(29)=埼玉=が会見終盤にサプライズ登場し、田中をねぎらった。田中は2人を見て大号泣。松島は所属先サントリーのウイスキー「山崎」を手渡し「お疲れさま」。京都・伏見工高(現京都工学院)の後輩・松田は「(代表で)泣く役はもらおうかな」。智美夫人は日テレ「news every.」に動画で登場し、「パパのお陰でいい景色を見ることができました」とねぎらった。
報知新聞社