モー娘。初期メンバーのはずだった!?R-1新王者・街裏ぴんくが芸風を確立するまで
――ぴんくさんのファンタジー漫談に、R-1審査員も圧倒されていらっしゃいましたよね。小籔千豊さんが「どんなお笑いを見てきて、どんなトラウマを追って、ここに行き着いたのか気になる」とおっしゃっていましたが、やはりそこが気になります。 「まず、小四くらいまでは暗くて友達もいなくてイジメられたりしていたんですけど、新喜劇で藤井隆さんがやっていらっしゃった『ホット!ホット!』を真似したら学校でもお笑い担当みたいになって。そこから、めっちゃ明るくなって、飯もよく食うようになって体もでかくなりました。僕も新喜劇に入ろうとしてたので、座長だった小籔さんにそう言ってもらったのが、まず嬉しかったですね。 トラウマというか、芸人さんには評価してもらえるけど、一切売れない、結果が出ないっていうジレンマはずっと感じてきました。2012年に大阪から東京に出て来た時も、どのお笑い事務所にも所属できなくて悪役俳優の事務所に行ったりしたんですよ。『悪役の事務所にいるんだから悪役のお笑いやったらどう?』みたいに考えてくれたり、いい人たちだったんですけど、そこも4ヵ月で辞めて、ずっとふわふわしてきた感じで。嫁さんおるのに結果出せないっていうところが、気持ちとしては一番大きかったかもしれないですね」 ――いつ頃結婚されたんですか? 「2013年ですね。僕は、この芸(ファンタジー漫談)に確信があったので、嫁さんも同じ気持ちだからついてきてくれたんだろうなと思います。バイトやってもすぐ辞めて、やりたくないことが全然続かない人間で。唯一本当にやりたい芸が見つかったっていうのは、本当に嬉しいですね」 ――やりたい芸=ファンタジー漫談が見つかったのはいつ頃ですか? 「大阪で活動していた2010年くらいからやり出したんですけど、全然ウケなかったんですよ。いろいろ修行して話術を高めていくうちに段々ウケるようになってきて、2015年にAマッソが誘ってくれた『バスク』っていうライブでやったファンタジー漫談が、これまで芸歴重ねてきた中で一番ウケたんです。それまではいろんな漫談をやってたんですけど、そこからファンタジー漫才に一本化して、ここで芸風が確立しました」 ここから本当にやりたい芸を磨き、難しいといわれた“漫談”でR-1王者となった街裏ぴんくさん。確かな芸を武器に、今年のお笑い界を席巻しそうです!