【PRIDE】髙田延彦が米国でヒクソン・グレイシーと再会「柔術の指導を仰ぐ」
◆『PRIDE』が無ければ、『DREAM』も『RIZIN』もいまの形では存在していなかった
ヒクソンの黒帯のアラバンカ柔術アカデミーの山田重孝代表と交流し、ボンサイ柔術では、ホベルト・サトシ・ソウザや、クレベル・コイケらとも柔術衣を着てトレーニングする姿が見られている。 今回のヒクソンのジム訪問は、山田代表との出会いがきっかけだった。 「もともと髙田さんと私は関係が古く、髙田さんが柔術を始めて数年が経ち、柔術を通してさらに関係が深まりました。ヒクソン先生に黒帯を貰っている私は、世界一の柔術の先生と髙田さんを引き合わせたく、相談したところ、髙田さんも『是非、ヒクソンさんにお会いしてご指南してもらいたい』との事だったので、2年ほど前からヒクソン先生にお願いして、お話を通し実現しました」(山田) 年が明けた1月、髙田はヒクソンのもとを訪れ、柔術衣を着て、向き合った。 山田代表は、黙々と柔術する両者を、「かつて闘った同士でしたが、お互いを認め合ってすごく友好的でいい感じでした。道衣を着て稽古が始まったときからいつも通り、エリオ先生の写真に礼をして、お互いに礼をして始まり、何も特別な事はありませんでした。柔術に関してヒクソン先生は、誰にも特別扱いはしません。 髙田さんもヒクソン先生をすごく尊敬していて、柔術のテクニックを一つ教えてもらうたびに、ため息をついて──それは私も同様です。手解きしてもらった初日でした」と、明かす。その指導は、技術のみならず、柔術を人生で活かすことに繋がるものだった。 「ヒクソン先生も情熱的に指導してました。会話は全て柔術の話。例えば髙田さんが先生の柔術は奥が深い、深い、と感心してヒクソン先生に話すと、ヒクソン先生は『柔術は普段の生活にも活かせる』と、人生のなかに柔術があることを説明していました。テクニックなどの動きだけでなく、呼吸法など、世の中の黒帯の教え方とは全く違う異次元の伝達方法で、今回初めてだった髙田さんはとても刺激を受けていました」(山田) 1993年、UFCで優勝したホイスが、「自分より10倍強い」と評したヒクソンと戦うことを髙田が決めたことで、『PRIDE』は起ち上げられた。『PRIDE』が無ければ、『DREAM』も『RIZIN』もいまの形では存在していなかったのはたしかだ。 ヒクソンと笑顔で組み合い、「Mr.ヒクソン・グレイシーが作り出す濃密で興味に満ち溢れた唯一無二な時間。それに引き込まれ没頭する我々は、完全に少年の心と化す」と写真に添えた髙田。 「柔術を長く続けたい」という髙田は、ヒクソンと戦い、再会したことで、新たな格闘技の旅を人生のなかで続けていく。