世界遺産登録を目指す黄金の佐渡島へひとり旅
今年、世界文化遺産への登録が期待される佐渡島の金山。島内には55か所の鉱山があり、そのうちの西三川砂金山(にしみかわさきんざん)と相川鶴子(つるし)金銀山(鶴子銀山・相川金銀山)が世界文化遺産候補の構成資産になっている。登録が決定すれば世界中から多くの人が訪れることだろう。思い立ったらすぐに出発できるのがひとり旅の特権。混雑前の佐渡島を訪ねた。 島の東の玄関口・両津港へは新潟港からジェットフォイルで1時間7分、フェリーで2時間30分。金銀山の関連施設は島の西側の相川地区に集まっている。両津港からは25キロほどの場所だ。まずは、金銀山のいろはを学べる「きらりうむ佐渡」へ向かった。 「日本最大の金銀山である相川金銀山は、江戸初期から約400年にわたって金銀を産出しました。海外の鉱山では機械化が進みましたが、鎖国下の佐渡島では明治期まで人力での開発を続けました」ときらりうむ佐渡のスタッフ。時流から外れたおかけで“人類の手工業による金生産システムの最高到達点”に達することができたようだ。手工業ながらも、17世紀には量、質ともに世界一を誇ったという。 【写真】アニメ映画の“天空の城”を想起させる北沢浮遊選鉱場
相川金銀山には総延長約400キロに及ぶ、いくつもの坑道が設けられた。「史跡佐渡金山」では四つの坑道を見学用に整備し、江戸期の宗太夫(そうだゆう)坑と明治期の道遊(どうゆう)坑を通年公開している。宗太夫坑に一歩入ると冷たい空気が頬を撫(な)でた。坑内では『江戸金山絵巻』に描かれた採掘作業の様子が人形で再現されている。 「金穿(かなほり)大工(鉱夫)は鉄製の鏨(たがね)を鎚(金鎚)で叩いて採掘するのですが、ここの山は非常に固くて、新品の鏨が2日でダメになったそうです」と、史跡佐渡金山の名畑(なばた)翔さんは話す。 わずかな光と音を頼りに、気温10度前後の環境で1日に掘れるのは10センチほど。改めて坑道を見渡すと「よくぞ掘った」と胸が熱くなった。 佐渡島では鉱石の採掘に加え、金銀の製錬や小判づくりも行った。「史跡佐渡奉行所跡」には江戸期の選鉱場である勝場(せりば)が復元されている。その作業は鉱石を鎚や石磨(いしうす)などで粉状にし、水を張った桶に入れる。次に汰板(ゆりいた)と呼ぶ板の上で沈殿物を揺すると、比重の重い金銀が板の上に残る。さらに、桶の水や浮遊物に含まれる微量の金銀も舩(水槽や、ねこ流し〈木綿を底に敷いた木樋〉)を使い回収した。 近くには昭和期の「北沢浮遊選鉱場跡」もある。コンクリートの土台などが階段状に並ぶ様子は、アニメ映画に登場する“天空の城”のよう。赤レンガの発電所、巨大なUFOにも見えるシックナー(沈降濃縮装置)の遺構も残っている。稼働時はさぞかしにぎやかだったに違いない。そっと目を閉じて想像してみた。