高野山にあるジャニー喜多川の墓は「今」...没後5年「性加害問題」の影響
戦後最大の性犯罪
高野山の山深く、老杉の茂る「奥之院」と呼ばれるエリアに、2019年7月9日にくも膜下出血のためこの世を去ったジャニー喜多川氏の墓はある。ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)のタレントや関係者、ファンにとっては「聖地」であり、かつて命日には墓前で手を合わせる人の姿が多くあったという。 【写真】いったい何が…「キムタク」に起きた、まさかの異変「最近、様子がおかしい」 だが、死去から5年が経ち、ジャニー氏の評価は一変した。2023年3月、英公共放送BBCによる性加害疑惑報道がきっかけとなり、長年噂されていた問題が表面化。芸能史に輝く天才プロデューサーと称された人物は「戦後最大の性犯罪の当事者」と呼ばれるようになった。 これにより、栄華を誇っていた事務所の地位や名声は瞬く間に低下。所属タレントが古巣を飛び出す事態が続いたが、ジャニー氏が眠る聖地はどうなっているのか。現地を訪れた――。
父は高野山の怪僧
標高約1000メートル級の山々に囲まれた山上盆地に広がる高野山は、平安時代のはじめに弘法大師(空海)によって開かれ、真言密教の修行の場となっている霊場だ。117もの寺院が立ち並び、参拝客のみならず、インバウンド観光客の姿も目立つ。 東京から約500キロ離れた地に、なぜジャニー氏の墓はあるのか。じつは、ジャニー氏と高野山には特別な縁がある。ジャニー氏の父親である喜多川諦道(たいどう)は高野山真言宗の僧侶で、1924年(大正13年)に渡米し、ロサンゼルスにある高野山米国別院(当時・米国高野山大師教会)の第三代主監を務めた人物なのだ。 諦道は1898年(明治31年)、大分県で生まれた。8歳の時に出家。13歳の時、高野山にある普賢院の重松寛勝僧正に師事した。ジャニー氏が存命の頃、記者は普賢院の宿坊に宿泊し、森寛勝住職の母親に話を聞いていた。
原点は米国での経験
「諦める道と書く人ですね。夫の兄の兄弟弟子でした。夫の兄は、その後高野山で管長に。諦道さんはアメリカに渡ったと聞いています。帰国された後、しばらくここにいたのかしら。その後はたしかプロ野球の仕事をされていたと思います。大阪でせんべい屋さんをやっていたこともあるはずです」 諦道は1924年(大正13年)に渡米し、高野山米国別院の第三代主監、つまり住職としてロサンゼルスの日系社会の発展に大きく貢献したという。高僧だったが、「お坊さんらしからぬ面白い人だった」(前出・森寛勝住職の母親)といい、仏事のほか、現地でのボーイスカウトの設立や奉納演芸などの開催に尽力した。帰国後にはプロ野球チーム「ゴールドスター」(千葉ロッテの前身)の運営に携わるなど僧侶としては異端の道を歩んだ。そんな父の影響を色濃く受けたのがジャニー氏だ。 ジャニー氏は三人きょうだいの末っ子で1931年にロサンゼルスで生まれた。1933年、1歳の時に家族とともに帰国して大阪で暮らし始めたが、幼くして母を亡くした。戦後、姉や兄とともに再び渡米し、父の功績が残る高野山米国別院を足場とし、学生生活を送った。この頃、父の伝手で、別院で開かれた日本人スターの公演の通訳や運営の手伝いを経験したことがショービジネスに目覚めるきっかけとなった。