巨人時代の『22』は私の人生を変えた番号です【デーブ大久保 さあ、話しましょう!】
西武時代の「45」も自分の背番号ですが、巨人の「22」によって多くの人に「デーブ大久保」を認知してもらったと思っています/写真=BBM
「さあ、話しましょう」始まって以来のカラーページ(※本誌)です! 140回目にして──。張り切っていきましょう。さて今回のお話は、週ベの特集が「背番号」ということで、私も背番号の話をしていきたいと思います。 1984年秋のドラフトで、西武に1位指名されて入団したときの背番号は「45」でした。新人ですから、自分で決めることはないです。あとから聞いたところによると、当時の廣岡(廣岡達朗)監督が占いか風水で鑑定して、一番いい数字がこの番号だったということで、ドラフト1位の私が「45」を着けることになりました。 この番号に愛着があるか、というと・・・
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週刊ベースボール