義父と卵/医師で作家・鎌田實の「鎌田式 究極の若返り健康術」
「鎌田式 究極の若返り健康術」<20> ぼくを1歳8カ月の時に拾って育ててくれた義父、岩次郎。彼の妻(ぼくの母になってくれた人)は重い心臓病で早く亡くなりました。 ぼくが長野に住むようになってから、父は1人暮らしが長かった。時々父の生活を見に東京へ帰りました。 ・卵1日3個 朝は必ず目玉焼きを2つ、夜はスーパーで総菜を買ってきて、みそ汁だけ作っていました。みそ汁には必ず卵を1個、落としていました。彼は1日に3個の卵をとることによって、亡くなる直前までかくしゃくとしていました。 タクシーの運転手をしていました。運動する姿をあまり見なかったけれども、サルコペニア(加齢性筋肉減少症)にならなかったのは、卵3個の力が大きかったように思います。 最期は脳卒中。88歳でした。最後の10年は、長野のぼくの家に同居してくれました。時々おいしいものを食べに、東京へ日帰りで行っていました。大好きなお酒も、亡くなる直前まで毎日飲んでいました。 ・ピンピンひらり 脳卒中で倒れて、ほとんど意識のない中、最後に大好きなビールを脱脂綿に浸して飲ませてあげました。うまいとは言えませんでしたが、見事にゴクンとしてニコッとしたように思います。 「ピンピンひらり」と言う言葉をぼくはよく言うようになりました。義父の最期を見て、です。元気に最期まで動き回って、ひらりとあの世に行く。父の「ピンピンひらり」を支えていたのは、1日3個の卵でした。