貴乃花光司が藤島部屋時代を振り返る…「父のことを好きを超えて、尊敬をしていました。父のためにどうしても勝たなければ」
父親の代わりに、この人のためにどうしても勝たなければ
伯父の存在、父の存在が大きかったために、私がマスコミの方々から注目をあびてしまったときなどは、他の力士から、あからさまに妬まれることもありました。男の妬みってえげつないですから(笑)。マスコミの方に追われることよりも、その後に待っている男の妬みのほうがつらかったので、「もう、勘弁してください」って思うことは正直ありましたよ。 ただ、そうは言っても、藤島部屋は他の部屋と比べて、相当に稽古や生活指導が厳しく、兄弟子たちもいろいろな家庭環境で育ってきた方が多かったので、親方の子供という特殊な状況にも理解があり、私の面倒を見てくれる方もいました。修行も苦にはならなくて、続けていれば、まわりも認めてくれる。2代目扱いもされなくなりました。真剣に叱ってくれる兄弟子もいて、今から考えると感謝しかありません。 そもそも私は師匠である父が大好きでした。好きを超えて、尊敬をしていました。現役時代の姿も見ていますので、子供の前でつらい姿を見せないようにしている父は、本当にかっこよかった。父親の代わりに、この人のためにどうしても勝たなければ――。その想いで、どんなにへたくそでも精進していたら、たどり着いたという感じです。 それに、同期にも恵まれましたね。お兄さん(若乃花)、魁皇さん、そしてもう亡くなってしまった曙さんと、非常にレベルが高かったです。 曙さんのことは、相撲教習所で学んでいるときから、「(曙の本名である)チャド」「コージ」と呼び合う仲でした。曙さんは体が大きくて、本当に強かった。日本中から相撲の精鋭が集う中、19歳で相撲を知らずに入門して、あの実力ですからね。もともとはバスケットボールの選手だったので、体のバネがすごかったです。きっとバスケの世界に進んでいても、NBAで活躍できるような能力があるんだろうなと感じていました。 貴乃花光司(たかのはな こうじ) 1972年8月12日、東京都生まれ。88年、藤島部屋に入門。92年の初場所で、史上最年少の19歳5か月で幕内初優勝。兄・若乃花と「若貴フィーバー」を巻き起こす。94年11月に第65代横綱に昇進。幕内優勝22回。生涯戦歴は794勝で、「平成の大横綱」と呼ばれた。18年に日本相撲協会を退職し、現在はテレビ、講演会等、幅広く活躍中。 THE CHANGE編集部
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