「お草の暮らしそのものが、お草を助けている」 「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズ・一区切り記念インタビュー(前編)
――たしかに、二人は実は似ているんですね。お草さんはセルフケアが上手というか、抱えきれなくなってパンクするってことはなく、久実ちゃんに任せられるところは任せたり、うまく自分の機嫌を取りながら、自己犠牲にならない範囲で人を助けていますよね。 吉永 お草の暮らしそのものが、お草を助けているんですよね。このシリーズで描かれることは「ちょっぴりビターな」と言っていますけど、現実はもっともっと厳しいでしょう。生きていく中で大変なことって、皆さん当たり前のようにあって、その中にちょっとした楽しみとか、これがあれば自分は機嫌よくいられるということを、自分で客観視して分かっている人は強いんだと思いますね。それができると、悲しみに打ちひしがれて何かに依存したり、潰れてしまうということがなくなるんじゃないでしょうか。 自分一人で持てない荷物がやってきたときに、一旦置いて、荷物を降ろして休んでよく考えてみようかな、って、そういうことが、助けてくれる人が近くにいたらできるんですよね。別に「助けて」とまで言わないにしても、心の中でだけでもうまく人を頼ることができれば、ひと呼吸おく時間を持つことができるはず。自分の弱さを認めるというか、自分がそんなには強くないということを受け入れるという強さというか。 ――だからこそなのか、お草さんは誰に対しても分け隔てなく付き合えるんですよね。誰に対しても、老いも若いも、みんな一人の人間としてみていることが伝わってきます。 吉永 目の前にいる人を、「いつかの自分、あるいは明日の自分かもしれない」と思いながら付き合っているんですよね。お草自身も、若い頃はその当時の女性に望まれるようなことをしなかったし、いい年して新しい店を始めるなんて、と近所の人に眉をひそめられたりもする。誰がどんな思いを秘めているのか分からないからこそ、誰のことも軽んじないというか。 子供のように小さくても、やっぱり一人の人間だとお草は思っているんです。子供だって、経験が少なかったり、無知であるからこそ、大人より恐れがなくて、時には大人を守ってしまうことだってあるでしょう。 お草は高齢者で体力もないし、独り身だし、先々がどうなるか分からないけどお店をやっている。すごく強い人ではないけど、うまく人とつながることで問題に対処している。そういう形で、人とつながっていければいいなと思います。 ( 後半 へ続く)
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