【特集】シナリオライターが遊ぶ『Far Cry 4』ヒマラヤの奥地で奏でられる愛と憎しみの狂騒曲
ビデオゲームに秀逸なシナリオが盛り込まれ、それを読み解くことも遊びの一部として受け止められるようになった現代……本連載記事では、古今東西のビデオゲームを紐解き、優れたゲームシナリオとは何かを考えていきます。第9回は『Far Cry 4』を取り上げます。 【画像全8枚】 ※本記事には『Far Cry 4』のネタバレが含まれます。ご注意ください。 UBISOFTが2014年(国内では2015年)に発売したシリーズ五作目となる本作。筆者はPS3時代に夢中になって遊びました。舞台はヒマラヤに存在する架空の王国キラット。断崖絶壁の雪嶺を背に、家畜の世話をして暮らす長閑な人々がいるこの国は、戦禍に包まれていました。まず、冒頭のストーリーから説明しましょう。 主人公はエイジェイ・ゲール。アメリカのストリートで育った彼は、母の遺言である「ラクシュマナに連れ帰って」を叶えるために、それが具体的に何を指すのかもわからないまま、彼女の故郷であるキラットに向かいます。道中、王立軍にバスが攻撃され、エイジェイが窮地に陥るなか、飄々とした態度の伊達男がヘリから降りてきました。そう、本作のヴィランであるキラット暫定政府の国王、パガン・ミンです。 パガンは命令をしくじった部下を刺し殺しますが、エイジェイの顔を見て途端に態度を軟化させます。彼を自身の王宮に連れて行き、クラブ・ラングーンという肉団子でもてなしてくれます。 とはいえ、何を考えているかもわからない男に拉致されて気が気ではないエイジェイは、すぐに王宮を脱出……そこで、キラットをパガンから取り戻すために紛争する反政府組織ゴールデン・パスのサバルとアミータに救われ、彼らと行動を共にすることに決めました。以降、エイジェイは彼らとともに、暫定政府を打倒するためあらゆるミッションをこなします。それらすべてが無駄骨であるということにも気づかずに……。 「Farcry」シリーズは様々な形で「狂気」を描いており、本作も同様です。 ゲームとしては殺意に任せてドンパチするアグレッシブなFPSとしての側面があり、シンプルでわかりやすいのですが、ストーリー上では愛と憎しみに塗れたドメスティックでパーソナルな三角関係が描かれ、キャラクターたちを狂気的な行動に駆らせます。エイジェイの武力を求める保守派のサバルと革新派のアミータという構図、パガン・ミンとゲール夫妻のあいだに起きた大きな過ちとすれ違い、ユマやヌーアやパドラといったサブキャラクターたちも、皆が人生に足枷をかけられながら生きています。 特に、パガン・ミンが主人公であるエイジェイに優しくする理由を、彼が現地に辿り着く前に起きた血みどろの愛憎劇によって、しっかりとセットアップできている点が素晴らしいところです。 これはつまり、ラスボスがどっしり構えて、いつまでも主人公の到着を待ち続けることになるというゲーム的都合に、何かしら理由を付けたいということなのでしょうが、自分が愛した女の息子が、使命を持って動いているのを、止めるわけがありませんよね。 「そもそも主人公とラスボスは最初から対立などしていなかった」……この理屈に気づいたとき、このゲームで(生き残っているなかで)最もまともだったのは誰なのか? という問いが浮上してきて、思わずため息が漏れそうになりました。紛争地帯という混沌の中に、これだけスマートに昼ドラめいた脚本を入れてきたシナリオライターにも脱帽です。 「数十時間をかけてラスボスを殺すためにその他の障害もろとも全て殺戮し尽くす」というFPS的衝動の成れの果ても「親戚のおじさんと肉団子を食べながら納骨をする」という隠しエンディングも、結局同じ地点に行き着くなんて、皮肉もいいところですね。 このプレイヤーをあざ笑うかのような構成は、通常エンドでパガン・ミンがいなくなった後のキラットがどう変わっていくかというカットによって、さらに邪悪さが増します。サバルもアミータも、反政府組織のリーダーだった頃よりも指導者としての格が下がり、パガン・ミンの二番煎じに過ぎない暗黒時代を築き上げていくからです。 正統派FPSのカウンターとして今も語り継がれている本作ですが、筆者が一番気に入っているプロットは「ラクシュマナ」が地名ではなかったという点です。 ここのミスリードは正直今見返してみるとズルいような気もしますが、最初にそれが何であったのかわかったときは思わず膝を打ちました。あ~、上手すぎる!『Far Cry 4』、10年経った今でも、まったく色あせない素晴らしいシナリオだと思います。 『Far Cry 4』はPC(Steam/Epic Games Store)/PS4/Xbox One向けにリリース中です。
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