JR東日本、燕三条駅の空きスペースで町工場の技術仲介、パクチー栽培も
雪国の技術がパクチーを育てる
大正時代に機関車の車庫、昭和初期には車両工場が置かれ、「鉄道の町」として発展してきた新津(新潟市秋葉区)。線路の消融雪設備のメンテナンスなどに使われてきた工場の中に入ると、緑の「畑」が広がっていた。 名称は「JREMファーム新潟」。自動改札機やホームドアなど鉄道の機械設備を手がけるグループ会社・JR東日本メカトロニクス(東京・渋谷、JREM)が立ち上げたパクチーの水耕栽培プラントだ。なぜJREMが水耕栽培に乗り出したのか。そして、なぜ新潟で、なぜパクチーなのか。 JREMの前身の1社である新潟交通機械は長年、線路の消融雪設備のメンテナンスを行ってきた。約10度に加温した水を線路にまいて雪を溶かし、循環させてまた散水するという雪国ならではの設備だ。JREM技術サービス創造部の吉原裕弥・工業化農業プロジェクト係長は「培ってきた水の循環、温度制御などの環境制御技術が、水耕栽培に生かせるのではないかと考えたのがきっかけ」と話す。水耕栽培も、肥料を溶かした水を循環させる仕組みだからだ。16年から検討を始めたという。 レタス、スプラウト、ワサビなど様々な野菜が候補となったが「例えばレタスは参入企業が多く価格競争になっているため、後発かつ小規模では太刀打ちできない」(吉原氏)。パクチーを選んだのは、JR東の紹介でエスニック料理店にニーズのヒアリングに出向いた際に「国内産のパクチーは季節によって産地が変わり、品質が安定しない」という悩みを聞きつけたのが決め手になった。 しかし、パクチーを水耕栽培した事例は少ない。探し当てたのが、玉川大学農学部の研究。18年から同大学と共同研究に乗り出し、味や食感が良くなるために最適な室温、水温、光の当て方などを探っていった。19年に試験プラントでの栽培を始めたが、安定生産にたどり着くまでに2年を要したという。 ただ、技術が完成しても、ニーズがなければ事業にはならない。22年に新潟県内や首都圏の20社以上にサンプルを出し、反応を確かめた。すると「パクチーの割にマイルドな味で、苦手な人でも食べやすい」と高評価を得た。「水耕栽培だと、苦みの成分が通常の4分の1程度に抑えられる」(吉原氏)。事業化を決定し、プラントを増設。23年から「めかぱく」のネーミングで新潟県内の飲食店・スーパーへの本格出荷を始め、24年からは首都圏へも販路を広げた。 プラントの床面積は180平方メートルで、3段の栽培棚が5列並んでいる。収穫できる約30センチメートルの背丈になるまでの日数は42日間。5人のスタッフが週5日、収穫、植え替え、種まきの順に規則正しく作業を進めている。その光景は、植物という生き物を相手にしていることを除けば、まさに「工場」そのものだ。 JREMは、パクチーの一大栽培事業者になろうとしているわけではない。主眼はプラントの外販にある。吉原氏は「オーダーに応じて設計可能で、栽培品種もパクチーに限らない」と話す。小型化して、飲食店やスーパーの店内に置くことも可能だという。 このように、新潟から鉄道会社の枠を超えたビジネスが生まれてきているのは、鉄道だけでは成長が難しい環境に置かれているからにほかならない。そしてそれは、首都圏、近畿圏など大都市を除けば共通した課題だ。 次回は、舞台を瀬戸内海の生口島(広島県尾道市)に移す。鉄道の走らないこの島に、足しげく通うJR西日本社員がいる。彼の足跡から、JRが地域で担える役割を考える。
佐藤 嘉彦