功績と人柄語り合う 東京都内で橘左近さんをしのぶ会
昨年12月12日に亡くなった長野県飯田市出身の寄席文字書家、橘左近さん(享年89)をしのぶ会が23日、都内で開かれ、橘流寄席文字一門の門弟、落語家、日本テレビ「笑点」関係者など140人が左近さんを追悼した。 献花とあいさつに続く献杯には、左近さんが愛飲した喜久水酒造(飯田市)の生貯蔵酒を使い、左近さんが初回からプロデュースしてきた飯田の地域落語会「おいでなんしょ寄席」の片桐啓前実行委員長は「とにかくこれしか飲まなかった」と郷土愛の一端に触れた。 長男の登内文哉さんは家族から見た左近さんを語り「父に怒られた記憶はないが、母が『年なんだからそろそろ引退したら』と言ったときは声を荒げて怒った。それほど寄席文字を書くことに情熱を傾けていた」と話した。 左近さんに看板の揮ごうを長年依頼した新宿末廣亭の前席亭、北村幾夫さんは「師匠の橘右近さんの後任として書き始めた頃『自分の書いた看板が10日間飾られ、多くの人に見られるのは身が引き締まり、とても怖い気がする』と言っていたのが印象深い」と振り返り「右近が寄席文字という家をつくり、左近が大黒柱として大きく育てた」とたたえた。 後半では落語家や講談師が左近さんと関わった日々を回顧。このうち11代目金原亭馬生さんは、左近さんが噺家系図研究の第一人者として、名跡の継承を舞台裏で支えたことにも触れた。 5代目柳家小さん、桂米朝を迎えて1997年に飯田で開いた「国宝二人会」は左近さんの大きな功績として会場内で話題になり、末廣亭の北村さんは「左近さんから気遣いが大変だったと聞いている」と話した。 おいでなんしょ寄席実行委員会は、飯田下伊那地域の関係者による「お別れの会」を計画している。