渋谷の地べたにたむろしていた若者はどこに消えた…若者を渋谷から遠ざけた「元凶」
「渋谷はもう若者の街じゃない」――。このところ、そんな声がやけに頻繁に聞こえてくる。実際、渋谷の街を歩いていても、若者の姿は、あまり目につかない。 【写真】豊洲「千客万来」は“インバウン丼”以外も残念だった 筆者は、東京の様々な街のイメージを探るために、さまざまな人々にインタビューを重ねているのだが、今回は、そこから見えてきた渋谷という、(かつての? )「若者の街」の姿を解き明かしたい。果たして、渋谷は本当に「オワコン」なのか。 前編『渋谷はもう「若者の街」じゃない…イケてた街が「楽しくなくなった」納得の理由』で見たように、渋谷は現在進行中の大規模な再開発によって、「若者のトレンドを発信する街」から、「便利な街」へと変貌している。 また、「ゆっくり時間を過ごす」場所がなくなり、街にいるだけで消費を促され、居心地が悪い思いをさせられる。
「ジベタリアン」から渋谷を見ると……
前編に登場した、地方から上京したという10代女子大生が、この話に関連して「渋谷は座れる場所が少ない」と嘆いていたことも印象的だった。よく考えてみれば、渋谷を歩いていて、ふと一休みできるベンチが少ないことに気づく。 ここで思い出されるのが、90年代後半から2000年代前半に社会を賑わせた「ジベタリアン」だ。今となっては、若者の半数近くが知らないというデータもあるぐらいの死語だが、2000年代前後には社会現象となるぐらいであった。その聖地が渋谷と言われていた。 「ジベタリアン」とは、公共空間で地べたに座り込む若者たちのことで、当時の渋谷は、彼らの聖地だったのだ。2000年前後のセンター街(現・バスケットボールストリート)には、大勢のジベタリアンが溢れ、社会問題化していた。 一方で、この存在は、渋谷が若者にとって、一種の「ダラダラできる空間」だったことを表している。西武パルコのシンクタンク「ACROSS」が出版した『SHIBUYA 2000 REPORT』は2000年の渋谷についての詳細なフィールドワークになっているが、ここではジベタリアンたちの様子が「路上カフェ」として紹介されている(ちょうど、カフェだ! )。 ジベタリアンとは、まさに「座れる場所」を自ら作り出す人々であり、その大半が若者だった。彼らの存在と「若者の街」というイメージには、何らかの関連性がありそうだ。渋谷から若者が離れているということと、ジベタリアンの存在は、まったく無関係ではないと思う。