競輪場がない鹿児島の40歳レーサー、なぜ選手になったのかを語る「地元では“競輪”を知らない人も多い」
松戸競輪では「ファンタジーナイトレース 第22回チャリロト松戸杯(FI)」が11日に2日目を迎えた。選手層の薄い鹿児島県。バンクはあるが、競輪場はない。その環境でなぜ競輪選手になったのか、そして、その後を5レースに出走した前田義和(40歳・鹿児島=94期)に聞いてみた。(アオケイ・伊藤記者) 高校で自転車競技を始めて、それで大学(鹿屋体育大学)でも競技を続けた。2つ上の西村尚文(91期)先輩が競輪選手になって、競技で「ケイリン」はあったけど「競輪」はよく知らなかったから、先輩に相談とかして、それで競輪学校に入学した。でも競輪競走を知らないから、アマ歴の長い同期にラインのこととか競輪のことを教えてもらったけど、学校ではラインは組みませんからね。 成績上位者は会見とかあって、目標とする選手を聞かれたけど、どんな選手がいるのかも知らなかったけど、名前が一文字違うだけの澤田義和さんの存在は知っていたから、澤田さんと答えたらG2を勝ったときはどう思ったとか、澤田さんのことをいろいろと聞かれた。だけど、名前が一文字違うだけで書いただけだから、答えに困ったのを覚えている。 デビューしてからも競輪を知らないから、レース後にあそこはどうとか、ここはどうとか後ろの選手にアドバイスを頂いたけど、何が悪かったのかも分からなかったし、「逃げ切って1着だからいいだろう」としか思わなかった。だけど、今になってみれば思うことはありますけどね。地元では「競輪」を知らない人も多いけど、ホントに選手になって良かったですよ。