第1志望だった「神戸大」に“2度も不合格”。SNSから消えて、成人式にも出れない…彼の驚くその後の人生
1年生のときにはもう肌感覚で「東大や京大に行くのは不可能だ」と感じた久保さんは、神戸大学の理学部を第1志望にして、理系の問題を中心に勉強を続けました。 その当時は、19時に部活が終わって20時くらいから2~3時間ほど代ゼミサテライン予備校で授業を受けたり、自主的に勉強をしていました。 しかし、神戸大学の判定は進研模試で一度B判定が出たのみで、あとはE判定が続く状況でした。 甲子園を目指して頑張った野球も、3年生の夏に佐藤輝明選手(現在、阪神タイガースに所属)がいた仁川学院に負けてその生活を終えます。
それからは、より受験モードに切り替えて毎日12~13時間の勉強を続けました。それでも、本人の中では手応えはなく、夏くらいにはもう受からないと思っていたそうです。 ■野球優先してしまった結果、浪人が確定 「勉強はしていたのですが、野球を優先したことで高1からの勉強不足が響きました。もうこの頃には浪人するしかないと思っていましたね」 この年の久保さんは、センター試験の点数で7割取れなかったものの、神戸大学の理学部に出願し、不合格に終わります。「2次試験はもう落ちることがわかってて受けました」と語る久保さんは、すぐに浪人を決意し、次年度に切り替えました。
浪人を決めた理由は、「プライドと世間体と、『まだ(上に)いけるだろう』という過信」が大きかったそうです。 「さすがに1年あれば、勉強を頑張れば神戸大に行ける」と考えていた久保さんは、実家から神戸のコロンビア学院に通って、毎日勉強に励みました。 「7時に起きて用意して、30分かけて通学し、8時半~9時の間には登校しました。20時から21時まで授業を受けたり、自習をして、22時までには帰宅しました。そこから復習をして、深夜12時には就寝していました。勉強はトータルで15時間くらいやっていたと思います」
前年の失敗を生かしながら、この年は「ちゃんと基礎から理解しよう」と意識し、あとはひたすら問題をこなした久保さん。 その甲斐あって、河合塾の全統模試では神戸大学でB判定を取ることができました。それでも「成績は伸びたけれども、余裕で受かるレベルにはいけなかった」ことで、不安がよぎったそうです。 この年のセンター試験は前年より100点ほど上がったものの、2次での挽回に望みをかけて、この年も神戸大学理学部に出願しました。