クセの強い見た目 ランボルギーニ350GT 売れるほど増えた赤字 理想のグランドツアラー(1)
フェルッチオが毎日乗りたいクルマ
1963年、フェルッチオ・ランボルギーニ氏が新規事業で掲げた目標は、「完璧なグランドツアラー(GT)」を完成させることだった。農耕用のトラクターで財を成した彼は、速くて高くて欠陥のあるクルマを、改良したいと考えていた。 【写真】ランボルギーニ350GT 理想のグランドツアラー イスレロとミウラ 最新のレヴエルトも (107枚) AUTOCARの読者なら、フェルッチオが購入したフェラーリのクラッチ故障を巡って、エンツォ・フェラーリ氏と対立したエピソードをご存知かもしれない。より良いグランドツアラーを作ろうという、彼の技術者魂を奮い立たせたのだろう。 かくして、量産モデル第1号となったランボルギーニ350GTは、確かに当時の理想像へ近かった。優れたエンジンを搭載するだけでなく、美しく洗練された2シーターモデルという、彼が思い描いたビジョンが体現されていた。 フロントにV型12気筒エンジンを搭載し、リアドライブ。現在のブランド・イメージと比べると、少し普通のモデルともいえた。 彼の元へ集まった若く有能な技術者たちと、真新しいワークショップが、より高速で印象的なランボルギーニを導いたことは、必然といえただろう。それでも、50歳のフェルッチオが毎日乗りたいと考えたモデルは、落ち着いたグランドツアラーだったのだ。 当初は資金に余裕があり、最初から理想を追求することが可能だった。必ずしも、利益を求める必要はなかった。350GTの価格は、フェラーリの競合モデルより1600ドルも低く設定。トラクターとオイルヒーターの事業で、損失補填も難しくなかった。
世界最高峰の水準にあったV12エンジン
それでも、1970年代初頭にはオイルショックなどの世界情勢の変化へ揉まれ、イタリア経済は低迷。専門家が予想したとおり、ランボルギーニ・アウトモビリ社は経営破綻へ至ってしまう。 彼の潤沢な資金を持ってしても、スーパーカー・メーカーの維持は簡単ではなかった。そもそも、350GTが1台売れる毎に、1000ドル近くの赤字が生まれたといわれている。 350GTに搭載されたエンジンは、フェラーリがモータースポーツで培った影響を存分に受けた、ジョット・ビッツァリーニ氏によるV型12気筒。バンク角が60度で、非常に滑らかに回転しただけでなく、扱いやすさも求められていた。 当時のV12エンジンとして、世界最高峰の水準にもあった。チェーンで駆動されるカムシャフトの数は、合計で4本。フェラーリの同等ユニットの2本を凌駕する、ダブル・オーバーヘッド・カム(DOHC)・ヘッドが載せられた。 低速域での回転を安定させるため、先進的なプラチナ点火プラグも採用。メインブロックはアルミ製で、鍛造ピストンが組まれた。クランクシャフトも軽量で、ショートストロークのイタリアンV12ユニットの典型といえる設計でもあった。 ビッツァリーニが初めに描いたコンセプトから、ロードカー用としてチューニングも加えられている。カムシャフトは柔軟性を重視したプロファイルになり、ウェーバー・キャブレターは水平にマウント。圧縮比が下げられ、ウェットサンプ化された。