【大学駅伝】最後の箱根路/東洋大・松山和希 “フォア・ザ・チーム”に徹して4区を力走「自分の中では出し切れた」
2024年、最後の箱根駅伝を終えた大学4年生ランナーたち。納得のいく走りができた選手や悔いを残した選手、なかにはアクシデントでスタートラインにすら立てなかったエース級もいる。お届けするのは、そんな最上級生たちの物語――。 第100回箱根駅伝総合、往路、復路成績&区間賞をチェック!
3年目以降はケガで苦しむ2年間に
「走るからには、エースとして、駅伝主将として、区間賞をとらないといけないという気持ちで臨みました」 鉄紺のエースをもって自任してきた東洋大の松山和希(4年)は、1、2年時に好走した2区ではなく、今大会は4区での出走となった。 1年時に2区で学年別日本人歴代2位の1時間7分15秒(区間4位)で箱根デビューを飾ると、翌年にも同じ区間でタイムをさらに短縮する1時間7分02秒(区間5位)で走破した。 しかし、3年時にはケガや体調不良の影響で、箱根ばかりでなく三大駅伝すべてに出場できない苦汁を味わう。本来自分が走るべき箱根の2区は後輩の石田洸介(現3年)に任せるかたちになり、10区で同部屋だった清野太雅(現・中国電力)がシード権ギリギリの10位を走っていたのを見て「シード落ちの恐怖で震えが止まりませんでした」と当時を振り返る。 今季も夏前に左脛を疲労骨折するなど負の連鎖から抜け出せず。出雲駅伝は4区を区間8位タイで走ったが、全日本大学駅伝には出場できなかった。 最後となる箱根では「2区を走りたい気持ちもあった」という本音も胸の内に秘めながら、「自分が2区では(チームが)勝てない、という監督の判断もあり、勝つために4区を走ろうということになりました」と明かす。 状態としては「80%くらい」だったが、区間2位の走りで5位から1つ順位を上げ、「区間賞を取りたかったというのはありますが、自分の中では出し切って走れたので、気持ちはクリアになっています」とすがすがしく最後の箱根路を終えた。 松山が1、2年時に箱根路を駆け抜けたのは、コロナ禍で応援自粛も呼びかけられた時期。最終学年では大きな声援に迎えられ、「4年目に、この舞台で走ることはどんなに幸せかということを、改めて感じることができました」と万感の思いを味わった。