高木守道さんの思い出【立浪和義の超野球論】
大人扱いしてくれた
審判に猛抗議する監督時代の高木氏。瞬間湯沸かし器とも言われた[右端が筆者]
ドラゴンズの大先輩・高木守道さんが亡くなられました。実は、昨年末の私の殿堂入りパーティにも来ていただき、元気なお姿を見ていただけに、最初は本当にびっくりしました。 高木さんがドラゴンズの監督になられたのは1992年。私にとってはプロ4年目でした。前任の星野仙一さんが非常に厳しい方でしたので、すごく穏やかな監督さんだなと思いました。口数も少なかったですしね。自分を大人扱いしてくれ、キャンプでも開幕までの調整法などをすべて任せていただきました。それによって逆に責任感が増したことを思い出します。技術面でも、特にバッティングについては、まったく何も言われたことがありませんでした。 この年は私自身、肩を痛めていたこともあってショートではチームに迷惑をかけるのではと思い、セカンドにコンバートしてもらった年でもあります。高木さん自身が現役時代はセカンドの名プレーヤーでしたから、それからはピボットプレーですとか、いろいろな技術を細かく、時に厳しく教えていただきました。 瞬間湯沸かし器とも言われた方で、確かに短気ではありましたが・・・
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週刊ベースボール