マンガ原作者・梶原一騎氏の生涯 貧困、暴力…濃厚な「昭和」を描く
「アントニオ猪木監禁事件」の真相は?
1983年に梶原氏は、「月刊少年マガジン」副編集長への傷害事件で逮捕されます。他にも赤坂のクラブホステスへの暴行未遂、さらにはプロレスラーのアントニオ猪木選手をホテルに監禁したなどのスキャンダルが、マスコミによって報じられました。 ひときわ注目を集めた「アントニオ猪木監禁事件」については、小島一志氏の著書『純情 梶原一騎正伝』(新潮社)が詳しく取り上げています。『純情』によると、梶原氏が大阪のホテルに泊まったところ、アントニオ猪木選手も同宿しており、軽い気持ちで部屋に呼び出したところ、ずいぶん経ってから大騒ぎになったそうです。 梶原氏の原作『タイガーマスク』の世界から生まれた覆面レスラーのタイガーマスクが、当時の「新日本プロレス」では大人気を博していました。ところが、新日本プロレスのアントニオ猪木社長は、「タイガーマスク」のキャラクター使用料を支払わずにいました。両者の間に金銭面でのトラブルがあり、その部屋には暴力団関係者もいたことから、マスコミが騒ぎ立てる事態になったのです。 アントニオ猪木監禁事件に関しては起訴されていませんが、梶原氏の逮捕と一連の騒ぎによって、マンガ原作者としての地位と名声は失われることになりました。
実弟が語った素顔の「梶原一騎」像
梶原氏は思春期を、少年を保護する福祉施設である「感化院」で過ごしています。梶原というペンネームは、感化院で知り合い、一緒に逃げ出した女の子の名前から付けられたものだと、斎藤貴男氏のノンフィクション『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)では語られています。不良少年だった梶原氏の、意外なロマンチストぶりを感じさせるエピソードです。 梶原氏の実弟で、やはりマンガ原作者だった真樹日佐夫氏を、韓国映画『風のファイター』(2004年)の日本公開時にインタビューする機会がありました。梶原氏について尋ねると、「大変なロマンチストだった」と語ってくれました。 前述した空手家の大山氏、梶原氏、真樹氏が「義兄弟」だった頃、3人で月に一度はステーキハウスで会食したそうです。その席で大山氏と梶原氏は「ライオンとトラはどっちが強いか?」ということをお酒なしで、真剣に語り合っていたとのこと。ふたりの無邪気さを、笑って振り返る真樹氏でした。 梶原氏は裁判で執行猶予つきの有罪判決となり、「梶原一騎引退記念作品」と銘打ち、自伝的マンガ『男の星座』の連載を始めます。『男の星座』を完結させ、その後は念願だった小説家としての仕事に専念する予定でした。しかし、『男の星座』の連載中に体調を崩し、1987年(昭和62年)1月21日に東京女子医科大学病院で亡くなります。享年50歳でした。 梶原作品に触れると、貧困、偏見、暴力、野心、挫折といった濃厚な「昭和」感が伝わってきます。梶原氏自身はマンガ原作者であることをコンプレックスに感じていたともいわれていますが、ここまで昭和という時代を描き切った表現者は、他にはそうそういないのではないでしょうか。梶原作品を振り返るたびに、昭和という時代が遠くなっていくことを感じずにはいられません。
長野辰次