発売直前までまったく違う曲だった? 久宝留理子が語る“カメリアダイヤモンド”CMソング「男」誕生秘話
「男」「早くしてよ」などのヒット曲を持つ久宝留理子(55)。疾走感のあるCM曲として瞬く間にヒットした「男」だが、発売直前まで、今とは趣のまったく異なる曲だったという。 【写真】「ダイレクトに反応がある。それがたまらない」ライブで熱いパフォーマンスを見せる久宝留理子 (全2回の第1回) ***
オレンジ色のおもちゃのマイク
「物心ついたころから歌っていた」ほど、昔から歌が大好きな少女だった。プラスチックでできたオレンジ色のおもちゃのマイクを握り、テレビから流れてくるヒット曲をまねながら山本リンダらの曲を歌っていた。幼稚園児の時には、フィンガー5の神戸国際会館でのライブに連れて行ってもらったこともある。 「一人っ子なので、フィンガー5の仲良し兄弟の姿にも憧れました。LPを聴いてコンサートに何回か出掛けたのですが、当時はステージ下から花束を渡せたんです。でも、まだ小さかったので、他のファンが持っていたバラのとげで顔中が血だらけになって、自分の席に引き下がりました(笑)。その頃からですね。歌手になれればと考えたのは」 1978年、小学2年の冬に「ザ・ベストテン」(TBS)の放送が始まると、ピンク・レディーに憧れ、歌うようになった。 「当時はビデオもありませんでしたから、雑誌の振り付け特集を見て覚えて。友達と休み時間に歌っていましたね」
オーディション突破もなかなか訪れないデビュー
歌手になるためには東京へ行く必要があると考え、高校に入ってからオーディションを受け始めた。「ミス・セブンティーン」のオーディションは写真選考で落とされ、歌を聴いてもらえるまでこぎつけたいと考えた。そこでCBSソニーが雑誌「DUET」とタイアップしたオーディションを受けるに際して、履歴書にある工夫を施した。 「あたしの歌聴かないと後悔するよ、ぐらいのことを書いたんです」 その策が奏功したか、見事、グランプリを獲得した。が、事はそう簡単には運ばない。高校卒業を待って18歳で上京するも、21歳の デビューまでには時間を要した。それまで他のアーティストとともにライブを行う日々だったが、悶々としていたという。 「地元の友達とは”今生の別れ”をして、東京へ行ったらすぐにデビューできると思っていたわけです。ところが待てど暮らせどその連絡はなく、毎日毎日電話を待っていました。ようやく19歳の終わりか20歳になった頃、レコーディングの話が来ました」