杉咲花インタビュー 初めての単独主演映画で、プレッシャーを改めて感じた『市子』
――『市子』もそうですが、杉咲さんのフィルモグラフィを改めて振り返ると、感情を激しく放出する役を託されることが多かったのではないかと。いまお話しされたような敬意を皆さんが感じられているからこそなのかな、と感じました。 どうなのでしょう‥‥。確かに、苦しみの中にいたり、傷を抱えた役柄が多かったようにも感じますが、それはどんな役にも、そしてもっと言うと現実を生きる人々にも、突き詰めていくとそういった感覚というのは潜んでいるものなのではないかな、とも思います。そしてこれまで巡り合ってきた役や作品が、そういった気付きを与えてくれてた感覚があります。 『トイレのピエタ』のオーディションを受けたとき、松永大司監督に「そんな芝居なら俺にもできる」と言われてしまったことがありました。当時の私は、「怒っている」という表現を求められたときにそう“見える”お芝居をすることが正解だと思っていたし、何かがぐつぐつと沸騰して温度が上がっていくような感覚がなくても、怒るお芝居をすることに抵抗がなかったんです。けれど、それは表面的な表現であるということに気付かされて。教えてくださった松永監督には感謝をしています。そういった時間を経て、いまは役としての実感を得られるような状態へ限りなく近づいていくことを意識するようになりました。 ――12月8日に公開される『市子』は、今年を締めくくる1本です。杉咲さんにとって、2023年はどんな年でしたか? 去年も感じたことなのですが、物理的に作品に関わる密度が濃くなってきていて、いまの自分はそういった向き合い方を求めている時期なんだと実感した年でした。実は『市子』は自分にとって初めての単独主演映画ということもあり、今までに感じたことのないようなプレッシャーが降りかかってくる感覚もあります。作品が残り続ける限り、自分もその一部であるということに責任を感じています。だからこそ、いまの自分にできることであったり、観客に何を届けたいのかということを今まで以上に考えさせられた年でした。 ――作品を背負った言葉を求められる瞬間も、主演だとどうしても増えますよね。 そのときに出てくる言葉というのは、作っていく過程で作品と向き合ってきた自分の姿が現れるようなものだと思っています。一個人として日々を営む自分の姿勢や態度は、他者を演じるときにも何か鏡のように映し出されるものだと思うからこそ、「ひとりの人間として自分がどう在りたいか」ということをより意識するようになりました。
取材・文 / SYO