紆余曲折を経て…“シャビ体制後”のバルセロナを率いるフリック新監督について知っておきたい「10のこと」
バルセロナのクラブ公式サイトが、ハンジ・フリック新監督について知っておきたい「10のこと」を紹介した。 バルセロナは現地時間5月29日、解任したシャビ監督の後任としてフリック氏の招へいを発表した。フリック氏はクラブ史上3人目のドイツ人指揮官となる。 フリック氏の指揮官就任に至るまで、バルセロナの人事は混迷を極めた。2021年11月にバルセロナの指揮官に就任したシャビ氏は、悪化したクラブの財政状況や内部政治に苦心しながらも、ラ・リーガ優勝1回(2022-23)、スーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝1回(2022-23)と、これまで一定の結果を残してきた。しかし、今年1月27日に行われたラ・リーガ第22節ビジャレアル戦(● 3-5)の後、シャビ氏は今季限りでの指揮官退任を発表。その後、4月25日にジョアン・ラポルタ会長と出席した会見では一転して残留を明言したものの、別の会見でクラブの財政状況や早期に結果を残すことの難しさについて言及したことでラポルタ会長の怒りを買い、残留宣言からわずか1カ月後に指揮官の座を解任された。 紆余曲折を経て、バルセロナは2023年9月以降フリーとなっていたフリック氏に白羽の矢を立てた。同クラブのクラブ公式サイトは10のポイントに絞って、現在59歳の指揮官を紹介している。
■ハンジ・フリック新監督について知っておきたい「10のこと」
1. 1965年2月24日生まれ、来年60歳を迎える。出身地であるハイデルベルクは、フリック氏が選手および監督として過ごしたミュンヘンから340km離れた人口約15万人の都市だ。 2. フリック氏は地元のクラブであるSVザントハウゼンでプロキャリアをスタートさせ、その後、20歳の時にバイエルンに移籍した。同クラブではブンデスリーガで100試合以上に出場し、4連覇を経験。1987年にはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)の決勝を経験したが、ポルトに敗れている。 3. フリック氏がバイエルンで初めて指導を受けた指揮官はウド・ラテック氏であり、同氏はその数年前にバルセロナを率いていた(1981-83)。ラテック氏はバイエルンを二度率いており(1969-75、1983-87)、フリック氏がケルンでプレーした際も共に仕事をしている。 4. フリック氏はバイエルンでユップ・ハインケス氏(1987-90)の指導も受けている。同氏はアスレティック・ビルバオやレアル・マドリードなどを率い、ラ・リーガでもよく知られている。 5. フリック氏はバイエルンとケルン在籍中にブンデスリーガで148試合に出場したが、負傷のため28歳で現役引退を余儀なくされた。 6. 選手としてのキャリアは短かったが、バイエルンではジャン=マリー・プファフ氏、ローター・マテウス氏、ディーター・ヘーネス氏、クラウス・アウゲンターラー氏、ユルゲン・コーラー氏らと同じロッカールームを共有した。ケルンではボド・イルグナー氏、ピエール・リトバルスキー氏らとチームメートだった。 7. 代表監督としては、2022年にカタールで開催されたFIFAワールドカップ(W杯)でドイツ代表を率いたことが最もよく知られている。だが、フリック氏は2008年から2014年にかけて、EURO2008や2010年の南アフリカW杯(どちらもスペイン代表に敗れている)で準優勝したドイツ代表でヨアヒム・レーヴ監督のアシスタントコーチを務めていた。また、2014年のブラジルW杯では準決勝で開催国のブラジル代表を7-1で破り、決勝ではリオネル・メッシ率いるアルゼンチン代表を破って優勝を経験した。 8. 厳密に言えば、フリック氏が指揮を執った最初のトップレベルの試合は、出場停止を受けたレーヴ監督に代わって指揮を執り、ポルトガル代表を3-2で破ったEURO2008の準々決勝だった。その試合ではバスティアン・シュヴァインシュタイガー氏、ミロスラフ・クローゼ氏、ミヒャエル・バラック氏がゴールを決めた。 9. クローゼ氏はW杯史上最多ゴール記録保持者だが、バイエルンで2020-21シーズンにフリック氏のもとでアシスタントコーチを務めた。 10. フリック氏は2020年にバイエルンに6冠をもたらし、ジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)が2009年にバルセロナで手にした記録と並んだ。興味深いことに、そのグアルディオラ監督がバイエルンの指揮を執った後にフリック氏は同クラブを率い、今回もグアルディオラ監督がかつて率いたバルセロナをフリック氏が指揮することになった。
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