速水健朗のこれはニュースではない:ロストウェイブを巡る話
ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として最新回の話題をコラムとしてお届け。 第8回は、誰もがたどり着けない曲「ロストウェイブ」について。 いまどきはお店で耳にした楽曲でもShazamを立ち上げて曲名や歌手名を調べることができる。日常的にカフェで仕事をする日々ゆえ、日に1度か2度は気になる曲をShazamする。英語ではすでにShazamは動詞化しているらしい。かつては、ラジオで聞いた曲の名前も歌手名もわからないということはざらだった。 メロディや歌声が耳に残り、歌詞はぼんやりとしかわからない。その状態で、3年も4年も探していて、たまたまラジオでかかって答えがわかる。そういう曲はいくつも浮かぶが、中学生だった僕がずっと探してたのは、ある女性ボーカルのさわやかなポップスだった。マドンナやシンディ・ローパーよりも少し前の時代。レンタルレコード屋でかたっぱしから女性ボーカルのヒット曲を当たったが何年もたどりつけなかった。 レンタルレコード屋の店員に曲調を伝えたり、女性ボーカリストの名前と代表曲を頭に入れて片っ端からチェックしていく。のちにラジオでたまたま巡り会う。シーナ・イーストンの「モーニングトレイン9to5」だった。1981年5月2日付けのビルボードナンバーワンヒットだ。なんでわからないのか、いやわからなかった。シーナ・イーストンのアルバムは借りたことがあるのに、なぜかこれにはたどり着かなかった。この曲を探している内に、ノーランズの「I'm In the Mood for Dancing」にたどり着いたりと紆余曲折もあった。当時のラジオは、ヒット曲かスタンダードのどちらかで、少し前のヒット曲がかかる機会は多くなかった。 インターネットの時代になり、誰もがたどり着けない曲が消えたかというと、そうでもない。誰かがネットにアップした曲の断片から大勢での探索が始まり、さまざまな推理や憶測が巡る。こうした現象、またはその集合はすでにジャンルにされ「ロストウェイブ」と名付けられている。その代表的な1つだった「Everyone Knows That」という通称名の楽曲の正体が、2024年の4月末に判明し話題を呼んだ。これを投稿したのは、スペインの匿名の「カール92」という人物。カール92は、古いDVDの中からこの曲を見つけてYouTubeにアップしたという。それを巡ってRedditというSNS、掲示板型のサイトで追跡が始まる。ちなみにネット上でシェアされていたのは、たった16秒の断片だが、多くの人にとって、これはどこか気になる要素を持っていた。 どんな曲か。80年代半ばくらいのフィル・コリンズの感じが近い印象。フィリップ・ベイリーとの「イージーラバー」とかに近い時代。そこまでは洗練されていない。のちにリンドラムの音色が使われていることが指摘されるが、ロック寄りのシンセポップ。どう聞いても80年代の曲だが、それがいまどきの機材でつくられている可能性も否定できない。いくらでも加工することもできる。 1人の中学生が、耳に残っている曲を1人の力で見つけようとするのとは違って、何万人、何十万人が一斉に楽曲の特定に知恵を絞る。歌詞のフレーズがかつてアパレルメーカーのキャンペーンコピーと同じであることを突き止め、その会社に問い合わせをしてみたり(関係なかったと判明)、英語の発音がネイティブではないという分析から、日本の曲の可能性も指摘された。90年代に日本の武富士のCMで話題になったジョー・リノイエが候補にあがり、彼がその取材に応えるという出来事もあった。 使われていたシンセドラムの音色がリンドラムであること(ある程度時代が絞られた)、誰も知らないということは、何らかの理由でお蔵入りした可能性があること。こうした分析や推理が繰り広げられたのちに、答えが示された。1986年に製作された「Angels of Passion」というポルノ映画の中で使われていたのだ。ちょっとできすぎた話だなと思った。その動画は何年も前から動画サイトでシェアされており、誰でも検証も可能だったようだ。この段階に至っても僕は、この結果を少し疑っている。「カール92」は、前後のポルノの音声を編集で切り取った上でこの断片を提示していた。となると、このネットにあがっているポルノビデオがそもそも、何らかの加工が加えられ、仕込まれていたって事はないか? フィルムやVHSの記録に当たればそれは確認できるのだが。とりあえず、「Everyone Knows That」は発見され、一件落着ということになった。 レア盤、珍盤の類いは、そもそもレコードの玉数が少ないからレアだったわけで、コピー、シェアのネットの時代には、原理的には起こりえない。レアグルーブの新分野みたいなものも掘り尽くされている。その時代にミステリアスな膜に覆われた音楽の「ロストウェイブ」が価値を持った。 ただしEveryone Knows Thatの探索がはじまったのは2021年だ。たったの3年。ちなみに、チャーリー・パーカーの幻の録音テープは、パーカーの死後、30年以上経って見つかって世にリリースされた。生前の大量にテープ録音が残っている話は、パーカーの伝記作家やマニアたちの間ではよく知られていた。いわゆるディーン・ベネディティの"プライベート録音テープ"。それは、パーカーの死後30数年が経って発見され、CD7枚組でリリースされる。これがもし、パーカーの死後3年後にリリースされていたら、それほどミステリアスとはされなかっただろう。 僕の高校生、大学生、20代の頃まで、ビーチボーイズの『SMilE』は伝説の存在だった。ブライアン・ウィルソンの精神的な不調やメンバーとの不和、レーベルとのトラブルで完成間際でお蔵入りした幻のアルバム。それが1967年のこと。以後、その前作にあたる『ペットサウンズ』の評価が高まり、『Smile』への幻想も高まった。もし『ペットサウンズ』のあとに順当に『SMilE』がリリースされていたらビーチボーイズは、ビートルズよりも先をいくロックバンドになっていたのではないか。 ただ、2000年代になってブライアン・ウィルンソンのソロ名義で『SMilE』が発売された。このときのブライアンのワールドツアーには僕も行ったはずだ。ただそれが何年のライブか、もはや記憶にすらない。実際にリリースされた『SMilE』は、お祭にはなったが、「幻の名盤」が幻を超えることはない。 再度、僕の個人的なロストウェイブの話を聞いてほしい。僕はエアチェック少年で、12,13歳のときに片っ端からラジオの音楽番組を録音していた。そのときに曲名紹介なしでかかっていて、ずっとタイトルも歌手もわからなかった曲がある。著作権法上、ポッドキャストに既存楽曲をそのまま挙げるのは気が引けるが、テープ特有の劣化があり、音質的に権利を侵害しないレベルなのでお目こぼし願いたい。80年代の曲で女性ボーカル。声やメロディ、アレンジなどは、EPOに似た感じだが、EPOの楽曲は聞いた。なのでEPOではない。Shazam以外のアプリもいくつも試したが、引っかからない。僕が知らないだけで、これが実はよく知られた曲である可能性はある。ただ、シティポップの復刻のコンピレーションCDなどをつくっている知り合いに聞いてもらったがダメだった。知っている方は、ぜひ僕宛にメールで教えてほしい。
速水健朗