『光る君へ』塩野瑛久の一条天皇はあまりに美しかった 悲しみと安らぎの最期
『光る君へ』(NHK総合)第40回「君を置きて」。一条天皇(塩野瑛久)が体調を崩し、宮中に不穏な空気が漂い始めた。中宮・彰子(見上愛)の前では気丈に振る舞う天皇を彰子が心配する中、道長(柄本佑)の元に占いによる不吉な予兆が報告され、次期皇位を巡る公卿たちの動きが加速する。 【写真】賢子(南沙良)の窮地を救う形で登場の双寿丸(伊藤健太郎) 一条天皇は、亡き皇后・定子(高畑充希)の第一皇子である敦康親王(片岡千之助)を東宮に立てることを望み続けた。しかしその思いを貫くことは叶わず、一条天皇は悲しい最期を迎えることとなる。 一条天皇は一貫して情の深い人物だった。それを深く感じさせたのが一条天皇を演じる塩野の佇まいだ。塩野の立ち姿からは、左大臣・道長と協調して政を行う者としての厳かさが強く感じられ、政の場面での強いまなざしからは、政に向き合う真剣さがひしひしと伝わってきた。その一方で、人々と関わる姿勢には人間味がある。「帝」という立場を理解している分、苦悩する場面も多々あったが、『源氏物語』を通じてまひろに興味を抱き、交流を深めたり、定子の兄・伊周(三浦翔平)へ温情をかけたりと、さまざまな人に対する向き合い方から彼の情の深さが伝わってきた。心を痛めながらも、自らと意見が異なる相手の考えを汲む面持ちには、一条天皇その人自身の優しさをうかがうことができる。自らと関わりのある人々を思い、誰よりも民を思う一条天皇の姿は美しい。 そんな一条天皇を病が襲う。病状は重く、一条天皇は床に伏した。一条天皇の身を案じた道長は大江匡衡(谷口賢志)に占わせた。匡衡が占いの結果を道長に伝えるのを一条天皇は聞いていた。衰弱した体で耳を傾けていた一条天皇が「崩御の卦が出ております」という言葉に目を見開く様、道長と匡衡が不吉な予兆について話し合うのをじっと見つめる暗いまなざしに深い絶望を感じた。だが、一条天皇は彼らしさを失わない。不吉な行く末を思い返すように茫然とする姿には深い悲しみが感じられたが、決して取り乱すことはない。夜にじっと自らの手を見つめる場面が描かれた後、自ら譲位すると告げた。 しかし最後まで、一条天皇は「帝」としての立場と一人の人間としての立場に苦しめられる。行成(渡辺大知)とのやりとりは見ていて心がつらくなった。死を覚悟したと思しき一条天皇は、行成に敦康を東宮とするよう道長を説得してほしいと頼み込む。行成はその前の場面で、四納言の中で一人だけ敦康親王が東宮になるべきだと主張していた。しかし、行成は「敦成親王様が東宮になられる道しかございませぬ」と返答する。一条天皇が病を押して「朕は敦康を望んでおる!」と強く訴えかけるも、行成は「恐れながら、天の定めは人知の及ばざるものにございます。敦康親王様を東宮とすること、左大臣様は承知なさるまいと思われます」と姿勢を崩さなかった。この場面での塩野の演技に心が引き裂かれそうになる。自らの意志を貫かんと鋭い目を一度は向けるも、行成の言葉から道長の思惑や今後の政や世の安寧のために望まれていることを汲み、自らの思いを呑み込んだ。だが、行成が去った後、虚しさや無力さ、無念さがこみあげてきたのか、彼は一人悲しみに暮れる。 公式サイトで公開されているキャストインタビュー動画「君かたり」にて(※)、塩野は一条天皇を演じたことについて「とにかく一条天皇を演じていて思うのは、苦しかった」と話しており、「いろんな愛だったりとか人のつながりとか、そういったものをたくさん見つけられた人生でもあるとは思うんですけれども、見つけられたがゆえに苦しかった」ともコメントしている。亡き皇后・定子との日々も、自分の殻を破り、一条天皇への愛情を伝えた彰子との日々も、『源氏物語』との出会いや道長ら公卿たちとのつながりも、情を持って大切にしてきたからこその苦しみが塩野の演技からは感じられた。 最期の時を迎える場面で、一条天皇は自らの身を案じる彰子を見つめながら、歌を詠む。塩野はインタビューの中で、中宮・彰子についてこのように語っている。 「僕の中では本当にすごく言いたいことだったりとか、思っている気持ちだったりとか、すごくたくさんあるんですけど」 「見てくださっている方の判断だったりとかそういったものに委ねようかなと思っていて」 「僕が彰子のことをどう思っていたかっていうのも、僕なりの正解はちゃんとあったりとかしたつもりなので、それを映像で見て、みなさんが感じていただけたらいいなと思ってはいます」 第40回の序盤では、彰子が一条天皇の学識に追いつくため、まひろ(吉高由里子)から『新楽府』を学んでいたことを知った一条天皇が「中宮がそのように朕を見てくれていたとは気付かなかった。うれしく思うぞ」と微笑む場面があった。彰子が一条天皇に自らの思いを伝えて以来、2人は深い信頼関係を築いていたと思う。定子との子である敦康親王を自らの子のように大事にしてくれる彰子に対し、一条天皇は深い思いを抱いていたはずだ。一条天皇が病に冒されてから最期を迎えるまでの立場はあまりにも悲しかったが、手を握り、涙を流す彰子が横にいてくれたことが救いとなったと願いたい。 参照 ※ https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/pyVjX9MK7y/bp/pWVjp26OwW/
片山香帆