映画は驚異の再現度の高さ! いま『ゴールデンカムイ』原作を読むポイントとは?
ついに封切りとなり、評価は上々の映画『ゴールデンカムイ』。コアな原作ファンの方は、すでに鑑賞済みだろうか。それともあえて「観ない」という選択を取っている人もいるのではないだろうか。ファンとしてのスタンスは人それぞれ。けれどもできれば実際に鑑賞し、驚異の再現度の高さを確認してほしいところ。 マンガでもアニメでもなく、実写映画にしかできない表現の数々が見られるからだ。もちろん、ひるがえってマンガにしかできないこと、アニメにしかできないことがあるのは言うまでもない。 現在、ヤングジャンプの漫画アプリ「ヤンジャン!」とWebコミックサイト「となりのヤングジャンプ」では、映画公開を記念して全話無料公開中。2024年1月31日の23時59分まで。本稿は、すでに映画を鑑賞済みではあるが原作未読の方や、これから鑑賞するつもりだがどこまで読んでおけばいいのか分からない方に向けた、“予習・復習のススメ”となるようなものを目指したい。 映画で描かれるのは、原作の第20話あたりまで。全31巻のコミックのうち、3巻の頭のほうまでだ。つまり、物語の序盤も序盤であり、ほんの入口に過ぎない。「見てから読むか、読んでから見るか」というのがあるが、映画を鑑賞予定で未読の方は、「読んでから見る」ことをぜひオススメしたい。鑑賞後の復習も簡単に済ませられる量である。 さて、今回の実写化で驚いたのは、なんといってもその再現度の高さ。主人公・杉元佐一を演じる山﨑賢人や、ヒロインのアイヌの少女・アシㇼパ役の山田杏奈らを筆頭とした俳優陣の好演の賜物だろう。“俳優ウォッチャー”である私個人としてはあまり意外性のないキャスティングで(ビジュアル的にも「なるほど」と唸るものがある)、彼ら彼女らが堅実なパフォーマンスを展開している。俳優たちの肉体と声を得たキャラクターたちは、まさにマンガのコマから飛び出してきたかのようである。 通常、マンガや小説を映画化する際、原作からのさまざまな改変がなされるものだ。小さなエピソードの一つひとつまで拾っていては、話が前に進まない。原作の核となるものを守りつつ、ある程度の換骨奪胎によって新たな物語を立ち上げるところにこそ、映画化する意義があると私は考えている。 しかし本作は原作を熱狂的なまでにリスペクトしているからか、物語全体の流れやセリフ、描写に至るまでかなり忠実。たとえば、重要キャラクターのひとりである土方歳三の「いくつになっても男子は刀を振り回すのが好きだろう?」というセリフがそのまま登場するし、杉元と敵対する大日本帝国陸軍第七師団の鶴見中尉は原作どおりに上官の指を噛みちぎる。 まあ、このあたりは各キャラクターの性格を原作と同様に観客に周知させるための名言・名シーンだからトレースして当然だと思うのだが、それ以外のちょっとしたセリフや描写までも、この実写化では採用されているのだ。 これは、ひとつでも大切な情報を削ぎ落としてしまうと、作品全体のバランスに致命的な影響を与えかねないからだと思う。私たちは杉元の視点をとおして、アイヌの文化を知る。必要なはずの情報の不足は、読者/観客に誤解を与えることにもつながりかねない。原作への熱狂的なリスペクトが感じられるのはもちろんだが、こうした理由が圧倒的に大きいのではないだろうか。 そしてこの『ゴールデンカムイ』の最大の魅力は、やはり北海道の大自然。時代は明治末期だ。絶滅したはずのエゾオオカミやヒグマが登場する。ただ登場するだけならばほかの作品でもCGで十分に再現されてきたが、本作では人間との格闘が行われる。映像化はなかなか困難。しかしこれがホンモノのようなリアリティを持っている。対峙する俳優陣のアクション/リアクションの力も加わり、マンガの中の空想的なシーンが(あまりにも!)生々しく創出されているのだ。 これはキャラクター同士のアクションにおいてもいえることで、マンガのコマからだけではその迫力がどんなものであるかは読者の想像力に委ねられている。けれども実写映像ではその様子が目の前で展開する。映像と絵とを見比べてみるのもひとつの楽しみ方だろう。 それから『ゴールデンカムイ』には特有のフード描写が登場する。これも原作では絵とセリフとキャラクターの表情からその味や匂いを想像するしかない。ぐつぐつ煮込まれて湯気を立てる自然の恵みは、実写ならではの力でスクリーンから香りが漂ってくる。私は鑑賞後に自宅に帰って原作を開き、レシピを確認したほどだ。これもまた、原作と映画に簡単にアクセスが可能ないまだからこそできること。 見てから読むか、読んでから見るか。私はやはり「読んでから見る」ことをオススメしたい。そして鑑賞後はすぐに復習だ!
折田侑駿