「戦艦大和」に乗った大尉が、部下に「鉄拳制裁」をふるった…その「意外な理由」
戦艦のなかでの鉄拳制裁
世界各地で戦争が起きているいま、かつて実際に起きた戦争の内実、戦争体験者の言葉をさまざまな方法で知っておくことは、いっそう重要度を増しています。 【写真】戦艦大和のこんな姿が…! 艤装中の姿 そのときに役に立つ一冊が、吉田満『戦艦大和ノ最期』です。 本作は、戦艦「大和」に乗り込んでいた著者の吉田が、1945年春先の大和の出撃から、同艦が沈没するまでの様子をつぶさにつづったものです。 吉田とはどんな人物なのか。1943年、東京帝国大学の法科在学中に学徒出陣で海軍二等兵となり、翌1944年に東大を繰り上げ卒業。その年の12月に海軍少尉に任官され、「副電測士」という役職で大和に乗り込みます。 やがて吉田が乗った大和は沈没するわけですが、太平洋戦争が終わった直後に、大和の搭乗経験を、作家・吉川英治の勧めにしたがって一気に書き上げたのが本書です。 その記述がすべて事実の通りなのか、著者の創作が混ざっているものか、論争がつづいてきましたが、ともあれ、実際に戦地におもむいた人物が、後世にどのようなことを伝えたかったのかは、戦争を考えるうえで参考になることでしょう。 同書では、艦内の出来事が生々しく描かれます。 たとえば、著者の吉田は、鉄拳制裁を受けた経験がありますが、その制裁の理由は興味深いものでした。 同書より引用します(一部、読みやすさのため編集しています)。 〈ワレ乗艦当初、臼淵大尉ニ鉄拳ヲ見舞ワレシコトアリ 一夜、夜間訓練ヲ終エ廊下ヲ寝室ニ急グ折、一名ノ兵、ワガ十数米前ヨリ左折シテ、左舷ノ通路ニ消ユ サレド少クトモ数秒間、ワレト目ヲ合セシハ疑イナシ 明ラカニ欠礼ナリ 通常鉄拳五発ニ値スル不埒ナリ 「待テ」ト一喝シ、踵ヲ返シテ走リ寄ルヲ見レバ、少年ノ通信兵ナリ 制裁ニ怯エ、肩フルワシ、シキリニ顔色ヲ窺ウ 「貴様ハ今ソコヲ曲ル前ニ、俺ヲ見タ筈ダ」 「見マシタ」 「ソレジャ何故敬礼シナインダ」眸ヲ凝ラシ、唇ヲ嚙ム 「欠礼シタト自分デ知リナガラ廊下ヲ曲ッテシマウ 必ズアトニ、イヤナ気持ガ残ルダロウ ドウダ」 「ハイ」訝シゲニ見返ス 「敬礼ナンテイウモノハ、一挙手一投足トイッテ、アラユル動作ノ中デ一番簡単ナモノナンダ ソレヲヤリ惜ンデ、イヤナ後味ヲ残ス コンナ詰ランコトハナイジャナイカ」 「ハイ」 「コレカラハ、上官ノ後姿ヲ見テモ、イイカラ敬礼ヲシテミロ 大シタ努力ハ要(イ)ラン ソシテ気持ガイツモ楽ダゾ」 「ハイ、ハイ」片頰ニ皺ヲ浮ベ、相好ユガム〉 〈「分ッタラ、ソコデ思イ切リ敬礼シテミロ」 数回、力一杯ニ挙手ノ礼ヲ繰返シ、小躍リシテ走リ去ル 「待テ」振リ向ケバ臼淵大尉ナリ、ト思ウ刹那、鉄拳ワガ左頰ニ一閃 虚ヲツカレテヨロメク 「不正ヲ見テモ殴レンヨウナ、ソンナ士官ガアルカ」ムシロ蒼ザメテ間近ニ立ツ 「スッカリ見テ居ッタ 貴様ノ言ウコトモ一応ハ分ル 恐ラク自分ノ場合カラ考エテ、コノ際ハ殴リツケルヨリモ、説教ノ方ガ効キ目ガアルト考エタンダロウ」 「ソウデス 自分ノ場合ダケデナク、兵隊ニ対シテモ正シイト思イマシタ」 「貴様ハドコニイルンダ 今裟婆ニ居ルノカ」 「軍艦デス」 「戦場デハ、ドンナニ立派ナ、物ノ分ッタ士官デアッテモ役ニ立タン 強クナクチャイカンノダ」 「私ハソウハ思イマセン」シバシ睨ミ合ウ 「貴様ニモ一理ハアル ソレハ分ッテル──ダカラヤッテミヨウジャナイカ 砲弾ノ中デ、俺ノ兵隊ガ強イカ、貴様ノ兵隊ガ強イカ アノ上官ハイイ人ダ、ダカラマサカコノ弾(タマ)ノ雨ノ中ヲ突ッ走レナドトハ言ウマイ、ト貴様ノ兵隊ガナメテカカランカドウカ 軍人ノ真価ハ戦場デシカ分ランノダ イイカ」〉 大和の中では、こうしたやりとりがおこなわれていた、あるいは、著者がこうしたありようを伝えたいと思った……戦場で戦うことの意味を、考えさせられる一節です。 * 【つづき】「「戦艦大和」の兵員が経験した、緊張感に満ちた「苛烈な業務」をご存知ですか?」では、大和での吉田の経験をさらに見ていきます。
群像編集部(雑誌編集部)