「金持ちの家に生まれた苦労は知らねえだろ」 奇異の目で見られていた麻生太郎副総裁はいかにして権力を手にしたのか
復活を遂げた麻生氏
こうした政策、政局両面での失策から自民党は2009年の総選挙で大敗。政権を失ってしまう。そのA級戦犯となった麻生氏。普通ならここで政治生命は事実上、終わりである。 しかし、2度目の転機は3年後に訪れる。第2次安倍政権の成立だ。政権を奪い返した安倍総理が麻生氏を副総理・財務大臣に起用した。 「安倍さんが麻生さんを重用したのは、政治力もありますが、やはり境遇が似通っているからでしょうね」 と前出の青山氏。続けて、 「お互い、祖父が総理大臣なのはもちろん、麻生さんは小学校から大学まで学習院、安倍さんは成蹊と名門私学の出身。地元は田舎だけど都会育ち。二人の間には他人が入れない世界があるように見えました」 こうして第2次安倍政権が歴代最長の7年8カ月間続く中、麻生氏も戦後最長の財務大臣として君臨する。 「財務省というのはやはり最強の官庁です。そのトップを長く務めれば、嫌でも人がみな寄ってきますよ。小派閥だった麻生派(前・河野グループ)に他派閥からこぼれ落ちた議員が入り、また、山東派をそのまま吸収した。いつのまにか第2派閥へと拡大していたんです」(同) 復活を遂げた麻生氏は続く菅政権、岸田政権でも重みを増し、現在の地位を築くことになったわけだ。
「麻生さんは本来、義理人情の人」
とはいえ、麻生氏も既に83歳。老害と批判されることもしばしばだ。 1月にも上川外相のことを「オバサン」「そんなに美しい方とは言わんけど」と言って物議を醸し、発言を撤回したばかり。失言癖は相変わらずで、撤回に追い込まれたものだけを挙げても、 「(日中に米価差があるのは)アルツハイマーの人でも分かる」(2007年) 「(終末期医療費の高騰について)さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」(2013年) 「ある日気付いたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気付かないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」(2013年) 「(少子高齢化問題で)年を取ったやつが悪いみたいなことを言っているが、子どもを産まなかった方が問題だ」(2019年) と数々の舌禍がある。どれもその都度、首になってもおかしくない発言だが、なぜかこの人だけは逃げ切れる。しかし、その度に内閣や党の評判をおとしめてきた。 「麻生さんは本来、義理人情の人なんです」 と言うのは、元フジテレビ政治部記者で40年前から同氏を取材する、ジャーナリストの鈴木哲夫氏。 「現在の岸田体制がいいと思っていない。政策も実現できていないし、党内の権力闘争に明け暮れている。しかも、これまで支えてきたというのに派閥解散という唐突な言動でまさに情を裏切られた。怒った麻生さんは、ポスト岸田の流れを作ろうとしています」 しかし、 「それを面白く思わない声ももちろんある。“口が悪すぎる”“身を退くべき時期ではないか”という声が党内で聞こえるのは事実です」