/22 第72回大会(2000年) 20世紀最後、東海大相模栄冠
2000(平成12)年の第72回大会では、過去に決勝で2度涙をのんだ東海大相模(神奈川)が「三度目の正直」で初めて紫紺の大旗を手にした。 初めて決勝に進んだ1975(昭和50)年の第47回大会は金属製バットがセンバツ初登場。3番・三塁手に原辰徳内野手(元巨人)を擁した大型チームだったが、高知に延長十三回の末に屈した。92(平成4)年の第64回大会はラッキーゾーンが撤去された広い甲子園で帝京(東京)に1点差で敗れた。 99(平成11)年秋の関東地区大会を制した東海大相模。1回戦で四国地区大会優勝の今治西(愛媛)に延長十回、相手投手の暴投でサヨナラ勝ちして勢いに乗った。2回戦の東洋大姫路(兵庫)戦、準々決勝の作新学院(栃木)戦を含め、エース・筑川利希也投手が3試合連続2桁奪三振の好投。準決勝で鳥羽(京都)に大勝して決勝に進出した。 決勝の相手は、前年秋の近畿地区大会で初戦敗退しながら選出された智弁和歌山。準決勝までの4試合で40点をたたき出した強力打線を誇っていた。 3日連投となった筑川投手は智弁和歌山に11安打を浴びたが、2失点で踏ん張った。同点の七回1死二塁のピンチで、3番・武内晋一内野手(元ヤクルト)、4番・池辺啓二外野手を打ち取り、九回2死後、走者2人を背負った場面でも武内内野手から再び三振を奪い、完投した。 打線は6安打に抑えられながら、送りバントを5度成功。手堅い攻めで適時打を引き出して4点を挙げ、強豪対決を制した。=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ▽決勝 智弁和歌山 010001000=2 11000002×=4 東海大相模