30代患者の妻が泣き崩れた…不用意な「がん告知」をしてしまって起きた「予想外の事態」
---------- だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 【写真】人が「死んだあと」に起こる「意外なやりとり」 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。 ----------
日本でがんの告知ができるようになった理由
日本でがんの告知が行われるようになったのは、一九九〇年代に入ってからのことです。 それまでは、家族には病名を告げても、本人には事実を隠すのが当たり前でした。 私は外務省に入る前、「日本死の臨床研究会」という団体に入り、がんの終末期医療を模索していましたが、当時(一九八〇年代後半)でも、がんの告知はたいへんハードルの高いものでした。なぜなら、いったん告知してしまうと、患者さんがうつ病になったり自殺しかねないほど落ち込んだりしたときに取り返しがつかないからです。 告知に関して、私も痛い失敗を経験しました。三十代の若い胃がん患者さんに、「胃潰瘍です」と説明したのですが、奥さんが手術に不安を抱いていたので、「大丈夫ですよ。ご主人は早期ですから、手術後の抗がん剤も必要ありませんから」と言ったら、顔色が変わったのです。あとで患者さんの母親に聞くと、患者さんだけでなく、奥さんにもがんであることは隠していたのだそうです。私が「抗がん剤も」と言ったので、がんだと悟り、家に帰って大泣きしたとのことでした。まさか、家族にも隠されていたと思わなかった私のミスです。 そんな状況が変わったのは、有名人のがんのカミングアウトだと思います。たとえば、俳優の渡哲也さんが大腸がんであることを公表し、無事に手術を終えました。ゴルフの杉原輝雄プロも、前立腺がんを公表し、プレイを続けたいから手術は受けず、放射線治療を選択したと発表しました。ほかにも、立川談志師匠や赤塚不二夫氏も、食道がんを公表し、無事、手術で生還しました。 それで世間が、なんだ、がんでも死なないのかという印象を持ちはじめたのです。それまでがんの告知が難しかったのは、がん=死という思い込みが世間に広がっていたからでしょう。 逆に、がんの治療もやりすぎたら恐いという印象を広めたのが、人気アナウンサーだった逸見政孝氏の胃がん治療でした。末期の進行がんで、再発が明らかだったのに、大きな手術を受けて死期を早めた可能性が高かったからです。 無名の人が死んでもインパクトはありませんが、有名人が亡くなると、強い印象を与えるのです。