長野県で相次ぐバス転落事故 迫られる冬の山岳地の運行対策
長野県軽井沢町のバス転落死傷事故をきっかけに、長野県で過去40年余の間に同様の重大バス事故が3件起きていたことがあらためて注目されています。今回の事故を含めた4件の事故の死者は70人余に上ります。変化の激しい山岳道路で気象条件も厳しいことなどが、ずさんな運行管理を事故に至らせる引き金になっている可能性もあります。山岳道路を含む遠距離運行には特別の準備と対策も迫られそうです。
軽井沢バス事故を含めて70人余の死者
軽井沢町の事故では15人の男女学生らが死亡。低料金のバス運行が安全対策などをないがしろにする結果になったのではないかと見て国交省などの調べが行われています。 こうした安全管理面の問題と併せて、事故現場でのバスの不自然な蛇行などについて捜査も進められています。 多数の死者が出たバスの重大事故は、長野県で過去にもあり、1972(昭和47)年9月には当時の戸隠村(現長野市)で観光客多数を乗せたバスが大型トラックとのすれ違いの際に路肩が崩れて川に転落。乗客15人が死亡する惨事になりました。当時は道路も未舗装で、道路管理の不備が指摘されました。 1975(昭和50)年1月1日には、長野県大町市でスキー場に向かうスキー客送迎のバスが青木湖に転落、20数人が死亡しました。現場の道路が坂道で狭く、急カーブだったことや、運転の誤りなどが焦点になったほか、路線バスや観光バスとは異なる送迎バスの安全管理のあり方が大きな問題になりました。
さらに1985(昭和60)年1月には、長野市の国道19号でスキーに向かう関西からのバスが犀川に転落。学生や教員、運転手ら25人が死亡する「犀川スキーバス事故」がありました。厳寒期で雪や氷で滑りやすくなったカーブでバスが川に突っ込んだ事故ですが、連続勤務の運転手の過重労働による疲労があったとしてバス会社の管理責任が厳しく問われました。 これらを通じ、道路管理や規制が緩かった送迎バスの運行問題、バス会社の運行管理など異なる問題点がいくつも浮き彫りになり、バス事故の背景には多くの問題があることが明らかになりました。