【証言インタビュー】佐藤義則(元阪急) 私が見たレジェンドたち「一流になる投手は全員、自分だけの武器を持っている」
山口高志の速球に驚いた新人時代
1995年8月26日、史上最年長[当時]のノーヒットノーランを達成した佐藤義則[オリックス]
【プロ野球90年特集 伝説のエースたち】 1977年に入団してから98年に引退するまで22年、阪急・オリックス一筋に投げ続けた佐藤義則氏に、先輩、同僚、他球団のライバルなど、「伝説のエースたち」の思い出を独自の視点で語ってもらった。 取材・構成=落合修一 ――佐藤さんは1977年にドラフト1位で阪急に入団。 佐藤 北海道で生まれ、大学も東都(日大)だったからあまり阪急のことは馴染みがなかったんですよ。それでも山田久志さん、足立光宏さんのことは知っていました。当時の阪急は2年連続日本一の直後で投手陣のレベルが高く、自分はドラフト1位とはいえ、一軍に生き残れるかどうか、という立場で自主トレ、キャンプと過ごしました。 ――当時のブルペンで見た、印象に残っている投手は。 佐藤 山口高志さん。当時の阪急の投手陣は年齢層が高く、一軍クラスでは僕が最年少で、その上が4歳上の山口さんだったんです。ブルペンではベテランから先に投げるものだから、最後に残るのがこの2人。まあ、隣で見ていると山口さんのストレートの速いこと、速いこと。 ――当時の山口さんはプロ野球全体でも最高に速い速球派でしたよね。 佐藤 規格外の速さでした。並んで投げていると、釣られて僕のストレートも速くなりました。 ――そういうものなのですか。 佐藤 多少は速くなりましたよ。 ――速球を投げる技術を盗んだということですか。 佐藤 そういうことではないです。本当に、釣られて。自分も学生時代は速球派と言われていたし、プロのトレーニングをして力んで投げているうちに腕を振れるようになって、球速は上がりましたね。 ――エースの山田さんはどういう投手でしたか。 佐藤 速かったですよ。速いと言ってもアンダースローですから150キロとかそういう速さではありません。何と言えばいいのかな。ボールがゆっくりと出てきて、突然キャッチャーミットに収まるイメージですね。 ――いわゆる「球持ちが良い」? 佐藤 そうそう。バッターからすると、角度がある投球フォームだから見えなかったボールが、急にビュッと出てくる。打ちにくかったと思います。バッターが思わず空振りしてしまう。そういう速さが、山田さんのピッチングにはありました。捕手の河村健一郎さんも「山田さんは速い」と言っていましたから。スライダーが曲がらないときでも、ストレートだけで抑えられたと。 ――一般的に、アンダースローだと「速球派」とは言われません。 佐藤 山田さんはアンダースローだけど「速球派」でしたね。僕の定義ではストレートで押して打者に立ち向かうのが「速球派」で、変化球やコントロールで打者をかわすのが「技巧派」。たとえストレートの球速が130キロだったとしても・・・
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週刊ベースボール