「東京の俳優」から愛媛・東温の?? 斉藤かおるさんのユニークな半生に迫る(前編)
斉藤かおるさん(55)=東温市=の経歴はユニークだ。東京で俳優として20年以上活躍し、2016年春に坊っちゃん劇場に就職して東温へ移住。その後、地域おこし協力隊員を経て、現在は俳優・演出家・演劇講師などとして愛媛を中心に活動している。 ただ、その半生は順風満帆ではなかった。俳優として生きる苦悩や将来への不安に向き合いながら、望む生き方をかなえようと必死に走り続けてきた。結果的に、幾多の肩書を背負ってきた斉藤さん。移住や転職を決断した瞬間に迫った。 前編では、東京での俳優時代を紹介する。 衝撃的だった。高校1年の斉藤さんは観客席にいた。俳優・仲代達矢さん主宰の「無名塾」による舞台で、露の文豪ゴーリキーの「どん底」が原作。「鳥肌が立つような感動を味わった。あのときの記憶は今も色あせない」。仕事としての舞台俳優に興味を持った瞬間だった。 月日が流れ、卒業後の進路を考えていた高校3年の秋。家族の後押しもあり、演劇を学べる東京の短期大学へ進むことを決めた。進学先の講師には、劇団「シェイクスピアシアター」を主宰する演出家の故・出口典雄さんがいた。これが、その後の人生に欠かせない存在となるシェークスピアとの出合いだった。 作品の筋書きを守りつつ、自由で魅力的な舞台に仕上げたシアターに強く引かれ、短大卒業後に入団。出口さんらの指導を受けながら上演に明け暮れ、演技力や技術を磨いていった。 約10年が過ぎたころ、芸能事務所から声がかかり、シアターを退団。その後もシアター出身の俳優・吉田鋼太郎さんら先輩の紹介などもあり、シェークスピア作品を中心に活動した。 東京での俳優生活は20年余りで、200本以上の舞台作品に出演。華々しく見える東京での経歴だが、自身は当時を「正直つらい時代でした」と振り返る。「劇団員のときは目の前のことに必死ですし、『これをやればお金がもらえる』という見込みも立ちました。でも退団後はいつ仕事が来るのか、来た仕事がいつ終わるのかも分からなかった」。食べていくため、さまざまなアルバイトにも精を出した。漠然とした不安に悩むうちに「サラリーマンになって安定した暮らしがしたい」という気持ちが芽生えていった。 このころ、アルバイト先の和食料理店で知り合った女性と結婚。子どもも授かり、ローンを組んで都内のマンションを購入した。 一方、東京で生活を続けることに迷いもあった。転機が訪れたのは2015年の夏ごろ。交流サイト(SNS)で、坊っちゃん劇場(東温市)の「正社員・俳優募集」の告知が目にとまった。
愛媛新聞社