ロッテレジェンド歴史を回顧 八木沢荘六氏「支え続けてくれたファンに感謝」
ロッテの投手として1973年に完全試合を達成し、監督も務めた八木沢荘六氏(79)が当時のチーム状況を回顧。現在のチームとの違いなどを語った。 当時を回想すると、1万試合も続くとは到底思えなかった。現役だった私をはじめ、チームとして最も苦しい時期だったのは「東京オリオンズ」から1969年に「ロッテ・オリオンズ」に名前を変えて間もない頃だ。本拠地の東京スタジアム(荒川区南千住)が72年に閉鎖され、ホーム球場を失った。 暫定の拠点とした仙台市の県営宮城球場で年間30試合をこなし、東京近郊や静岡県の球場を転々とした。公共交通機関は発展途上。今では考えられないが、移動はほとんどがバスだ。そのチームバスも長時間移動に使うには質の良いものではなく、心身を削られた。 球場に荷物を置く場所はないし、満足に練習する場所もない。情けないという思いに駆られたことは数え切れない。今のロッテを見ると、満員の観衆で素晴らしい環境でプレーしている。支え続けてくれたファンに感謝したい。78年、川崎市に本拠地を置いてもファンはまばら。人気はなかなか定着しなかった。 2022年に佐々木朗希が完全試合を成し遂げ、1973年に完全試合を達成した私の名前が出てきたときは感慨深いものがあった。いい伝統を引き継ぎ、2万試合に向けて球団を繁栄させていってほしい。 ■八木沢 荘六(やぎさわ・そうろく) 1944(昭和19)年12月1日生まれ、79歳。栃木県出身。作新学院高で62年春にエースとして選抜大会優勝に貢献。夏は赤痢のため出場できなかった(チームは春夏連覇)。早大を経て67年2次ドラフト1位で東京(現ロッテ)入団。73年10月10日の太平洋戦(ダブルヘッダー第1試合、県営宮城球場)で完全試合を達成した。同年に最高勝率(・875)。79年に引退するまで通算394試合に登板し71勝66敗8セーブ、防御率3・32。92―94年にロッテの監督を務め、巨人、ヤクルトなどでコーチを歴任した。右投げ右打ち。