【後編】『瑠璃色の地球』が永遠に歌い継がれていく理由。―松本隆&松田聖子
水原:この時期の松本さんと言えば、映画『微熱少年』(1987年公開)も忘れ難いです。松本さんの原作・監督で、公開日に観に行きました。 川原:主役の斉藤隆治さんは斉藤由貴さんの弟で、松本さん自らスカウトしたんです。フレッシュな魅力に溢れ、ビートルズが日本武道館でライブを行った1966年頃の東京が映画の舞台でした。僕も、小説を出版してからメディアミックスで売り出していくプロモーション・アイデアを出したのを覚えています。 水原:『SUPREME』に参加した久保田洋司さんのTHE 東南西北が映画の途中に登場したり、大滝詠一さんの『恋するカレン』(1981年)や聖子さんの『雪のファンタジー』(1987年)が劇中で流れたり。音楽を目指す若者たちのキラキラした青春が満載でした。 川原:少し前にWOWOWで再放送されていたから、また機会があったらぜひみなさんにも観てほしいですね。 水原:『微熱少年』は『SUPREME』発売1年後の1987年6月公開。同年5月には松本さんがプロデュースした聖子さんのアルバム『Strawberry Time』も発売され、同時期にたくさんのアイドルも松本さんの詞でデビューしました。この前後の松本さんの多忙ぶりはすごかったのでは? 川原:松本さんも突然依頼が来ることが多くて大変だったと思います。中山美穂さんのデビュー曲『C』(1985年)も急にオファーが来て。彼女はドラマで先にブレイクし、デビュー曲も主演ドラマの挿入歌になることが決まっていたから業界のみなさんの思い入れも強かった。それで色々な候補作があったけれど、やはり松本さんにお願いしたいという話になり。でも作曲家が決まっておらず「川原も書いてみたら?」と松本さんに言われて…。最終的には京平さんの曲になりましたが(笑)。 水原:川原さんバージョンもあったんですね。ドラマの主題歌だと、様々な大人の事情がありそうです。 川原:そういう機会を頂くたびに勉強になりました。芳本美代子さんのアルバムでも曲を書かせてもらったり。実は松本さんの元に届いた作曲家のデモテープを一緒に聴かせてもらうことも多かったんですよ。 水原:そうなんですね! 一番印象的だった曲は? 川原:薬師丸ひろ子さんに松任谷由実さんが提供した『Woman “Wの悲劇より” 』(1984年)ですね。非の打ち所がなく、プロデューサー目線でも作曲家目線でも完璧な曲で圧倒されました。まさに傑作。 水原:死生観が込められた歌詞もすごいです。『SUPREME』も世界中の景色や物語を描きながら、大きな人類愛に全体が包まれて。冒頭の『螢の草原』には命の尊さも描かれています。 川原:松本さんは、どの曲にもちゃんとメッセージがあるから。 水原:中山美穂さんの『WAKU WAKUさせて』(1986年)も一見ポップな歌謡曲だけれど「生き方を派手にしなよ」と。だから川原さんが、アーティストや他社のスタッフと自由に交流されていたお話も、すごくかっこよく感じているんですよ。 川原:自分はきっと音楽を通じて、ある種の「文化運動」をやっていたんだと思います。聖子さんや明菜さんの新作が出なかったら音楽界にとっては大きな損失だし。陽水さんの新しい一面も皆さんに知って欲しかった。大滝さんの才能もあのまま埋もれさせるわけにはいかず。京平さんと新世代のコラボも見てみたかった。今の時代は一人でも音楽が作れるしYouTubeもあるのでメジャーデビューも必須じゃないけれど、一方で多くの人と音楽を作っていく楽しさもあると思うんです。80年代や90年代は様々な人がコラボし、作詞家や作曲家、編曲家やミュージシャン、歌い手、スタッフも意見を寄せ合っていたので。 水原:松本さんや聖子さんの曲から、新しいアーティストの存在も教えてもらいました。意外性のある組み合わせが面白くて。 川原:最近のアーティストも、コラボレーションしたらもっと世界が広がるはず。自分もまだまだ「文化運動」を続けている途中です。 ●川原伸司 音楽プロデューサー、作曲家。日大芸術学部を卒業後ビクター入社、後にソニー・ミュージックエンタテインメントへ。ピンク・レディー、杉真理、松本伊代、The Good-Byeらの制作現場を経験しつつ、井上陽水、筒美京平、大滝詠一、松本隆らと交流。大滝詠一、中森明菜、TOKIO、ダウンタウン等をプロデュースし、松田聖子や森進一の楽曲制作も。『ジョージ・マーティンになりたくて~プロデューサー川原伸司、素顔の仕事録~』(シンコーミュージック)が絶賛発売中! ----- Photo(record)&Text: Kuuki Mizuhara
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