白血病の娘支える孤独で不安な日々、Jリーガーがサポーターから支援を受けて学んだものは
サッカーJ3・AC長野パルセイロ 砂森和也
急性白血病と診断された長女を看病するために選手活動を休止し、約5カ月ぶりに長野Uスタジアムに戻ってきた19日の北九州戦。「砂森これからも共に!」という横断幕を見て涙が止まりませんでした。ピッチに立てない自分にも勇気を与えてくれる。感謝の思いでいっぱいになりました。 【写真】砂森に向け、サポーターが掲げた「大丈夫、みんながそばにいるから」のメッセージと背番号48
「何とか助けたい」一心で決めた活動休止
昨季後、鹿児島からAC長野へ移籍を決断したのには理由があります。J3でスタジアムが満員になる「信州ダービー」でプレーする姿を家族に見せたい。覚悟を決めて移籍し、迎えた5月13日の松本山雅戦の直前、ずっと体調が悪かった娘の病名を告げられました。絶望感と無力感で泣き崩れ、「何とか助けたい」と、その一心で活動休止を決めました。 そこから娘を支える生活が始まりました。車で片道1時間半の距離を毎日通い、抗がん剤投与を受けながら必死に闘う娘と向き合う。外出も制限され「きょうも誰とも話していない…」という日々が続き、支える家族にも不安や孤独感との闘いがあることを痛感しました。 心のよりどころになったのは病棟内のプレイルームです。さまざまな病状の子どもたちが一緒に遊んだり、親同士が意見交換したりして支え合う。たくさんの元気をもらい、救われました。だからこそ「サッカー選手として何か力になれることはないのか」と強く思うようになりました。
「支援の形は一つじゃない」 サポーターが教えてくれた
AC長野と日本プロサッカー選手会(JPFA)が呼びかけた募金活動で、Jリーグを中心に全国35クラブから支援していただきました。古巣やライバルクラブの選手、監督、サポーターなど、サッカーでつながる人たちには本当に感謝の思いしかありません。同時に「サッカー選手だから支援してもらえた」「不平等ではないか」という意見もいただきました。 その考えは理解できます。まだ僕がプロ選手として駆けだしの頃、ある有名アスリートが、交流のある子どもの海外臓器移植のために募金活動をしていました。「お金を集められる人は助かるけれど、集められない人はどうなるのか」「何が正解なのか」という葛藤があり、寄付を躊躇(ちゅうちょ)しました。 でも、当事者の立場になり、これまで知らなかった患者側のさまざまな苦しみや負担を経験し、「支援の形は一つではない」と実感しています。それを教えてくれたのはサポーターです。自発的に献血やドナー登録に取り組む動きが広がりました。「娘以外にも輸血を必要とする人たちの助けにつながる」。自分ができる範囲や方法で誰かのために一歩を踏み出し、支援の輪を広げていく。大切なことを教えてもらいました。