1歳の息子が指定難病に「早く気づけたら」と自分を責めた蒼川愛「肌が白すぎるけど大丈夫?」スーパーでのひと言が病気を知るきっかけだった
■もっと早く気づけたらと自分を責めたことも ── 治療期間で特につらかったことはなんでしたか? 蒼川さん:退院後も服薬はしばらく続いていたのですが、入院中から副作用で顔がパンパンに膨れてしまう、いわゆるムーンフェイスになってしまいました。それが薬の量が減るまでだいぶ続いていたので、痛々しくてかわいそうで…。 言葉を話せないだけで、ずっと体がつらかったのかもしれないと思うと、もっと早く病気に気づいてあげられればと。そうしたらもっと前から治療を受けられたのに…と自分を責めましたね。
── 退院後もしばらくは通院が続いたのでしょうか? 蒼川さん:そうですね。息子の状態を見ながら、少しずつ薬の量を減らしていきました。減らしてもギリギリ数値が安定するラインを探りつつ、徐々に量を減らしていくんです。そのため、毎月の検査の前は、「今月は大丈夫かな?」といつもドキドキしていました。 息子が3歳になる頃に東京に出てきたのですが、その頃にはもう薬を飲まなくてもいい状態で経過観察になっていました。その後、医師にも「完治した」と言っていただけて、病院に行くこともなくなりました。4歳になったいまは元気すぎてびっくりしています(笑)。
── 東京に来て、お子さんとの生活は変わりましたか? 蒼川さん:実家では母に手伝ってもらえましたが、今は頼れる人がなかなかいないので、息子の急な体調不良のときなどはやっぱり大変ですね。島根ではそういうときも車ですぐに病院に連れて行けましたが、東京では電車で移動したりと、スムーズにいかないことも多いです。 ── 息子さんの病気を公表したことで、なにか反響はありましたか? 蒼川さん:私の体験談を読んで、自分の子どもも同じ症状で悩んでいたという方々からインスタなどのDMをいただきました。年齢は3歳や5歳などまちまちでしたが、公表したことがきっかけで力になれたのなら嬉しいですね。
── お子さんには今後、どのように成長していってほしいですか? 蒼川さん:やりたいと思ったことには、躊躇せずにすべて挑戦してほしいです。今はネットで簡単に、いい情報だけでなく、悪い情報も得られる時代です。悪い情報に流されることなく、しっかり成長してくれたらいいなと思います。 PROFILE 蒼川 愛さん 1994年生まれ、島根県出身。インフルエンサー。Prime Video『バチェラー・ジャパン』シーズン1に、大学生で参加。初代バチェラーの心をつかみ話題に。4歳の息子を育てるシングルマザー。 取材・文/酒井明子 画像提供/蒼川 愛
酒井明子