72時間で沖縄本島1周、400キロ走破! 睡眠削り幻覚 兵庫・三木の社長が限界マラソンに挑んだ理由は
「沖縄本島1周約400キロを72時間以内に走るマラソンで、夫が6位でゴールしました」。ある日、こんなメールが神戸新聞北播総局に届いた。沖縄本島を1周? 72時間で400キロ? そんな過酷なレースを走りきるなんて一体、どんな「鉄人」なのか。(小西隆久) 【写真】過酷なマラソンを走る八木博則さん 兵庫県三木市志染町東自由が丘の会社社長八木博則さん(59)。49歳のとき、医師から脂肪肝と診断されたのがきっかけで妻の千春さん(60)とウオーキングから始めた。 高校3年間のサッカー部以降、運動からは遠ざかっていた八木さん。少しずつ走れるようになり、2014年の神戸マラソンにエントリーした。 「サブ4(4時間以内)」を目指し、3カ月でフルマラソンが走れるようになるというテレビ番組を参考に猛練習。初マラソンにもかかわらず、4時間12分で完走した。 けれど「もう少しやったのに」。悔しさに火が付いた。 週2、3回、20キロを走り込み、4カ月後の篠山ABCマラソンでサブ4を達成。すると今度は「どこまで走れるのか試したい」という気持ちが湧いてきた。 半年後、完走率5割とされる「歴史街道丹後100キロウルトラマラソン」(京都府)を完走。その2カ月後には、加古川マラソン大会で3時間26分の自己ベストをたたき出した。 17年、仕事中に足の指を骨折。半年間走れずもんもんとする中、「寝ずに走るレース」の存在を知った。千春さんがネットで「変態 マラソン」と検索。出てきたのが「沖縄本島1周サバイバルラン」だった。 迷わずエントリーしたものの「400キロなんて走れるやろか」と不安に襲われた。18年11月の本番に向け、休日に18時間かけて三木と西宮を往復したり、24時間リレーマラソンに1人で出場したりして特訓した。 迎えた大会当日。24時間で半数超の出場者が脱落した。食料や水分を補給しようとしても、胃が食べ物を受け付けない。時間制限をにらみ睡眠を極限まで削ったためか、山中の暗闇で樹木に襲われるような錯覚に見舞われた。「これが幻覚か…」。そんなこんなを乗り越え、見事ゴールイン。その時の博則さんは「ひげが伸び、ほおはこけて別人のようだった」と千春さんが振り返る。 「走っているときはもうやめようと思うんですけどね」と笑う博則さん。19年の無念のリタイア、20、21年のコロナ禍による大会中止を経て22、23年は完走を続けた。 そして、4回目となった今年11月。これまでとは大きく事情が異なった。いつも大会会場への交通やホテルをすべて手配し、最大の応援者である千春さんに、大病が見つかっていた。 大会の日は、手術日と重なっていた。「欠場して付き添うよ」。博則さんが言うと、千春さんは「絶対、(大会に)出て」。満足に練習もできなかったが、千春さんが愛用するサングラスをかけて出場した。 3日間降り続く雨の中、スマホで博則さんの位置情報を見続けてくれる千春さんを思うと、ペースが上がった。「早くゴールし、少しでも早く病院へ」。その一心で、3日間で1時間20分しか眠らず走り続けた。結果は70時間を切るベストタイムで6位入賞。千春さんも無事に手術が終わった。 「夫の走る姿が力になった」と千春さん。博則さんは「これからも2人で限界まで走りたい」。 「鉄人」の二人三脚での挑戦はまだまだ続く。