【モノクローム巡礼】石神様:大坂寛「神のあるところへ」 石の章(3)
大坂 寛
神が宿るとあがめられてきた磐座(いわくら)・御神木などの自然物を写真家・大坂寛がモノクロームカメラに収める。今回は古来の岩石信仰に由来する「神を宿して成長する石」をお届けする。
成長する石が里を見守る
民俗学の祖・柳田國男は、昭和の時代に忘れ去られつつあった民間伝承や説話を採集し、『日本の伝説』を著した。その中には、全国各地に伝わる「袂石(たもといし)」の話も収載されている。着物の袂に入れていた小石が知らぬ間に大きくなったという類のものだ。 古代日本には石に神(霊魂)が入るという信仰があった。石自体が神になるわけではないが「依代(よりしろ)」、つまり御神体として拝まれた。その信仰と共に、年月を重ねるごとに大きくなる石の言い伝えが広がったと思われる。宮崎県北部の日之影町にある「石神様」も、そのような伝説に彩られた磐座だということで訪ねてみた。 石神様を御神体とする竹之原(たけのはる)神社は、延岡の市街地から車で40分ほどだとナビは示す。目的地は丘の上のようだが入り口が見当たらない。車を止め、里に広がる田んぼを眺めながらあぜ道を歩いていると、ようやく鳥居を見つけた。 鳥居をくぐって石段を登ると、丘の上の広場が境内になっていて、簡素な社殿が立っていた。人けのない静かな神社で、放置されているのかと思いきや、手入れは行き届いている。 石神様は社殿の背後に鎮座していた。仰ぎ見るような高さ約3メートルの巨石が2枚寄りそっている。驚くことに、かつては里にあったものを村人たちが丘の頂まで運んできたといわれている。自然石をその場所で祀(まつ)るのではなく、移動して信仰の対象にするのは珍しい。当初は2石の間には人が通れるほどの隙間があったが、だんだん大きく成長して狭くなったと伝えられている。丘へと運び上げた頃は、もっと小さかったのかもしれない。 訪れたのは夏の盛りで、青々と茂った木々の葉が石神様を人目から隠していたが、祭りともなれば枝葉が取り払われるのだろう。巨大な石が参詣する村人を圧倒する様子が目に浮かんだ。